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写真で綴る、被災地の『いま』を伝えるプロジェクト
取材報告資料
取材地:福島県福島市、二本松市
取材日:  2014年12月20日(土)
作成者:山形市立第六中学校
       後藤  謙
スマイルとうほくプロジェクト
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
震災による福島県の被害 福島民報社作成
津波で大きな被害を受けた	
  
浪江町=平成23年4月撮影	
  
	
  
平成24年10月17日付	
  
福島民報朝刊より	
  震災による津波の被害は、福島県の沿岸部
全域に渡り、その高さは福島県富岡町で約20m、
東京電力福島第一原子力発電所で約13mを観
測した。津波による電源喪失は東京電力福島第
一原子力発電所の事故を招き、土壌や海洋の汚
染、周辺住民の避難、風評被害など多くの被害
をもたらし、今なお続く問題となっている。
 避難生活を送る福島県民は現在も12万人(※)を
超えており、長期化する避難生活による体調不
良や将来が見通せないことへの不安から命を落
とす被災者(=関連死)が増え、社会問題となっ
ている。福島県内で震災(原発事故)関連死と認
定された死者数は9月7日現在で、1,753人。震災
による津波で亡くなった直接死の1,603人を上
回っており、宮城、岩手両県と比較しても突出し
て多く、被災者の精神面でのケアなどが大きな課
題となっている。   ※2014年10月16日現在
図
、
ー
 
福
島
民
報
	
  
平
成
26
年
9
月
9
日
付
朝
刊
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
  震災による停電、携帯電話やインターネットの
不通により、避難時や避難先での貴重な情報源と
なったのが、ラジオと新聞であった。
 ラジオ福島は福島県のAMラジオ放送局であり、
県内のほぼ全域で聴取できる。震災発生当時は
生放送番組の放送中であり、揺れを感知すると
即座にリスナーに避難を呼びかけた。震災発生
後約350時間はCMを挟まずに各避難所で必要とさ
れている物資の情報や安否情報を発信し続けた。
 福島県内で日刊紙を発行する福島民報は震災の
被害や原発事故による情報を活字と写真にまとめ、
用紙やインクなどの資材が不足する中でも欠かすこ
となく新聞を発行し続けた。震災後は通常の記事の
他、土地鑑の無い場所で避難生活を送る人達に医
療機関の診察情報や給水所、給油所などの生活情
報を掲載し、避難者の貴重な情報源となった。
今回の取材について(震災当時のメディアの状況) 福島民報社作成
避
難
先
新
聞
情
報
得
避
難
者 
	
  
福
島
民
報
平
成
24
年
3
月
14
日
付
朝
刊
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
今回の取材について(福島県浪江町の状況)  福島民報社作成
    福島県の沿岸部に位置する浪江(なみえ)町。同
町は東京電力福島第一原子力発電所から北西に位
置し、原発事故による放射性物質の拡散から、現在も
帰還出来ずに、県内外で約2万人が避難生活を送っ
ている。
 避難命令が出された当初は原発を中心とした半径
20㎞圏内に避難命令が出され、浪江町役場の職員は
20㎞圏外となる同町の津島(つしま)地区に避難し、
町民の避難指示などにあたったものの、放射性物質
は天候や地形の影響により20㎞以上離れた津島地区
を始め、原発から北西の町村に拡散した。
 同町は現在、福島県二本松(にほんまつ)市に役場
機能を移し、多くの町民が避難生活を送っているが、
他の市町村をはじめ、県外に避難している町民も多い。
離れて暮らす町民に故郷の状況を伝え、町民同士の
つながりを維持する手段として、タブレット端末を全町
民に配布し、町の情報発信やコミュニケーションツー
ルとする取り組みが2015年1月から始まる。
浪江町津島地区
避難指示の区域の状況	
  
平成26年2月27日付福島民報朝刊より	
福島県地図	
  
47NEWSより	
  
h.p://www.47news.jp/localnews/
chiikisaisei/34/ar?cles/419344.html
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
後藤  謙
(山形県/山形市立第六中学校2年)
取材者について
 僕は、山形県の山形市立第六中学校
から来た、後藤謙です。テニスをやって
います。
 このプロジェクトに参加した理由は、学
校の赤十字活動で被災地の海岸清掃を
したことを通して、「被災地のいま」につい
て興味を持ったからです。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
取材地について(ラジオ福島)
 ラジオ福島では、震災直後から津波
情報など、様々な情報を発信していまし
た。
 電池一本でも稼働し、最新情報をどこ
でも聴けるラジオは、災害時、最も重要
な情報源の一つです。そのためラジオ
福島では、自家発電機等の災害対策を
講じ、最新の情報をいつでも発信できる
ようにしています。
 ですが逆に、当時の被災地では情報
が混乱して当てにならなかったという意
見もあります。ラジオは情報は早くても
必ずしも正確ではないとも言えるのです。
ラジオには光と影の二つの面がありま
す。この影の部分をどう減らしていくか。
今回学んだ事を元に取り組んでいきた
いと思います。
108
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
取材地について(福島民報社  印刷センター)
 福島民報印刷センターでは、震災直後
に不眠不休の作業の末、翌日には30万
部の朝刊を県内に届けました。印刷セン
ターは、新聞の膨大な情報をいかに早く
伝えるかの要です。しかし、水、インク、
紙、電力、このどれかが無くなると印刷
できなくなるという厳しい条件のもとに作
業しています。実際に震災直後は2台し
か機会が動きませんでした。現在ではそ
の対策として、タンクの設置や、2週間分
の備蓄をしています。被災した時、多く
の情報を共有できる新聞は必要不可欠
です。その要を奥深くまで見学できたこ
とは、とても貴重な体験になりました。
206
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
取材地について(安達運動場応急仮設住宅)
 安達運動場応急仮設住宅では、浪江
町から多くの方が避難しています。着の
身着のまま避難してきた方も多く、せま
い仮設住宅での生活を何年も余儀なく
されています。一番辛いことは、もう元
の場所に帰れないということだそうです。
津波で家を失うなら、リセットができる
けれど、リセットすらできない。この苦し
みは町民に深い傷を負わせています。
避難する際、情報は一切届かず、町民
はただ混乱の中で逃げまどいました。
情報がないということは、とんでもない
大混乱を引き起こす。これは何よりの教
訓になると思いました。
481
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
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取材地について(浪江町役場  二本松事務所)
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取材地について(浪江町役場  二本松事務所)
 浪江町役場二本松事務所では、全国に散らばった浪江町民の中心となり、故郷に戻るために必死で
活動しています。
 震災時、町役場にも情報が一切届きませんでした。それは混乱を招いただけではなく、町民の方々
を「自分たちは見捨てられたのか」と絶望的な気持ちにさせました。怒りすら覚えたそうです。情報を早
く伝えることの重要さを改めて感じました。
 現在、浪江町では、全国にバラバラになってしまった町民のために、町報やタブレット端末などで、町
の情報、福島の情報を発信しています。リアルタイムで町の情報を発信することで、各地の町民がいつ
でも帰ってこれるようにしているのです。
 しかし、現実には「帰りたい」と望む町民が減り続け、全体の2割を切り、「帰らない・帰れない」と考え
ている町民が六割を超えている厳しい状況になってきています。
 このままでは、日本の一つの町が、2万人の町民の暮らしと思い出が、この世から消えてなくなってし
まいます。しかもこれは浪江に限ってのことではなく、いくつもの町で同時に起こっていることなのです。
そして最も問題なのは、このことが皆さんの記憶から風化し、消えていっていることです。こんな悲惨な
現実を忘れ去ってしまう。こんなことがあってよいのでしょうか。僕はこのことを、日本中に伝えなけれ
ばならないと思います。
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今回の取材テーマ:「災害時の情報伝達」について学んだこと
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「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
今回の取材テーマ:「災害時の情報伝達」について学んだこと
 僕はこのスマイルとうほくプロジェクトを通して、本当の東日本大震災を体感しました。
 僕の住む山形は、同じ東北でありながら大きな被害を受けませんでした。そのため最近
地元では震災に対する意識が薄れてきています。僕自身もそうでした。しかし、福島に来
て取材を進めていくと本当の震災の姿がありました。凄まじい揺れ。巨大な津波。史上最
悪の原発事故。錯綜する情報。混乱—―。何重もの災害を一気に受けた福島の様子は、自
分たちとは比べものにならないほど悲惨なものでした。
 取材を通して、最も印象に残った話は、災害を数字で表してはいけないというラジオ福
島の大和田アナウンサーの話です。ハンカチの絵を描いた“ひめちゃん”。45分で5人の
命を助けた“盛人くん”。この2人の死を悲しむ大勢の人。たった2人の命を失うことの悲し
みの大きさ。命の重み。伝えるべきは数字ではなく、ひとつひとつの死の重み、悲しみで
あるということ。僕が自分の地元でやるべきことは、このことを伝えることだと思いました。
これ以上震災についての記憶を風化させないために、そしていつまでも残すために、これ
からは努力していきたいと思います。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
ワークショップ:今回の取材(災害時の情報伝達)で学んだこと
「発生が予測できる災害(台風など)」、「予測できない災害(地震など)」について、それぞれどのよう
に情報を取得すればよいか、どのような情報が必要になるかなどについて、ロザンの宇治原さん、菅
さんチームに分かれて、ディスカッションしました。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
ワークショップ:今回の取材(災害時の情報伝達)で学んだこと
情報を得ることで災害から身を守り、自分たちが被災した際には、どのような行動をすれば良いのか、
3日間の取材、ワークショップで色々なことを学びとってくれました。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
事後学習について
今回の取材地について、3日間で学んだことについて中学校で発表しました。
1.災害時の情報について話し合いました
災害時に情報を手に入れることの重要さ、その情報を手に入れるための手段、各種マスメディアのメリット・デメリッ
ト等を、口頭または黒板を用いて伝えました。当初、最も便利なのはスマホ・アイフォンだという意見が多数でした
が、他のマスメディアと比較したところ、ラジオがいい、という結論に至りました。しかし、自宅に携帯できる電池式
のラジオがあるのは30人中わずか1人と、課題が見つかりました。
  
2.山形で起こりうる災害について確認しました
山形で起こりうる災害について意見を出し合い、全員で確認しました。最も意見が出たのが「地震」でした。東日本
大震災の余震が未だに続いていることが一番の理由ではないかと思います。また「大雨」「洪水」「土砂崩れ」といっ
た最近山形で起こったばかりの災害についても関心が高かったです。更に、御嶽山や、蔵王山の噴火兆候の
ニュースを受けた「噴火」、毎年悩まされる「大雪」、などの意見も多く出ました。  
一方、「竜巻」「台風」「ひょう」などは、ほとんど被害を受けたことがないためか、出てきませんでした。            
 
3.災害時の避難について確認しました。
災害時の避難方法、避難する場所、持ち物について確認しました。すると、「避難場所がわからない」が半分、「親
との集合場所を決めていない」が6割を超えている意外な事実がわかりました。避難するほどの大災害をうけたこと
がない為、決めるのが後回しになっているのではないでしょうか。その後、日本ではいつどこでどんなことが起きる
かわからないということを伝え、避難に備える重要さを訴えました。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
事後学習について
今回の取材地について、3日間で学んだことについて中学校で発表しました。
4.学級で防災ルールを作りました 
1、2、3で学習、確認したことを基に各班で話し合い、学級での防災ルールを作りました。内容は次の通りです。
 
・家族と避難場所を確認する。
・防災袋を避難するときに通る場所(玄関先等)に置いておく。
・防災袋の中にラジオ、できれば手回し充電ラジオを入れておく。
・災害時伝言ダイヤル171を活用する。
・避難するときはなるべく徒歩・自転車などで移動する。(渋滞に巻きこまれて移動困難になることを防ぐため)
・様々なマスメディアの情報の、正確さ、速さなどをよく考えて利用し、行動する。
      
まだ学級単位のルールですが、来学期にはこのことを生徒会におろして、学年、学校全体でのルール作りをしてい
きたいと考えています。
  
   
5・福島の「今」について語りました
 取材でいただいた資料やメモなどを中心に、福島の「いま」、被災地の「いま」について語りました。全員が真剣な
まなざしで聴いてくれました。特に詳しく話したのは、浪江町についてです。仮設住宅のこと、原発のこと、様々なこ
とを話しましたが、みんなが特にショックを受けていたのは、浪江町という町がバラバラになり、消えてしまいそうに
なっていることでした。仲良しの友達が突然引き離され、それから一度もあっていない。こんなつらいことが実際に
起きている。このことに衝撃を受けたのです。
     今回は時間が少なかったため、語ることができたのはほんの一部にすぎません。ですがそれだけでもクラ
スの人は大きなショックを受けたようです。来学期はこの続きを、もっと語っていきたいと思います。
  
  
  6.最後に
    報告は以上です。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
事後学習について
今回の取材地について、3日間で学んだことについて中学校で発表しました。
5・福島の「今」について語りました
 取材でいただいた資料やメモなどを中心に、福島の「いま」、被災地の「いま」について語りました。全員が真剣な
まなざしで聴いてくれました。特に詳しく話したのは、浪江町についてです。仮設住宅のこと、原発のこと、様々なこ
とを話しましたが、みんなが特にショックを受けていたのは、浪江町という町がバラバラになり、消えてしまいそうに
なっていることでした。仲良しの友達が突然引き離され、それから一度もあっていない。こんなつらいことが実際に
起きている。このことに衝撃を受けたのです。
 今回は時間が少なかったため、語ることができたのはほんの一部にすぎません。ですがそれだけでもクラスの人
は大きなショックを受けたようです。来学期はこの続きを、もっと語っていきたいと思います。
  
  
6.最後に
 報告は以上です。
 今回は時間の都合上、学級での一時間の学習しかできませんでしたが、来年も、まだ伝えきれていないことを学
級に伝えたいと思います。また、来年はこの活動を学年、学校に広げ、特に来年2月26日に開かれる「3.11を忘
れない集会」では、何らかの形で全校生に発表したいと考えています。
活動の様子は、スマイルとうほくプロジェクトのサイトでご覧になれます。
「スマイルとうほく」で検索。 http://smile-tohoku.jp/ 特別協賛
事後学習について
今回の取材地について、3日間で学んだことについて中学校で発表しました。

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