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本郷図譜について
- 3. 本郷次雄博士
― 21 ―
本会名誉会員・本郷次雄先生はかねてからご病気静養
中のところ,2007 年4月 2 日に永眠されました.83 歳
でした.謹んでご冥福をお祈りいたします.
先生は 1923 年(大正 12)12 月1日に滋賀県大津市に
お生まれになり,1941 年(昭和 16)3月に滋賀県立膳
所中学校(現,膳所高校)を卒業されました.同年4月
に広島高等師範学校理科第3部に入学され,1943 年(昭
和 18)9月に3年修了,同年 10 月に広島文理大学生物
科に入学され,1946 年(昭和 21)9月に同大学を卒業
されました.この時期は第二次世界大戦の混乱期で,3
年で卒業という変則的なものであったようです.戦後は
郷里の大津に帰ってこられ 1946 年(昭和 21)5月から
滋賀県立膳所中学校の非常勤講師,同年 10 月から膳所
中学校教諭,1948 年(昭和 23)4月から県立膳所高等
学校教諭として勤務されました.1951 年(昭和 26)4
月から滋賀大学学芸学部の助手になられました.1954(昭
和 29)年7月に講師に,1959(昭和 34)年 12 月には助
教授に昇格され,1966(昭和 41)年4月に教授となら
れました.その後,三重大学農学部,琉球大学理工学部,
琉球大学農学部,奈良教育大学教育学部の講師も兼任さ
れました.また,1985(昭和 60)年4月から2年間滋
賀大学教育学部付属小学校長も兼任されました.1989(平
成元)年4月に定年退職され,滋賀大学名誉教授となら
れました.
広島文理科大学の時代には宮島や広島市近郊でよく植
物採集をされ,それと同時にきのこの採集やスケッチも
されています.1950 年に植物分類・地理 14 巻2号に最
初の論文ともいえる近江及び山城産高等菌類と題して第
1報を発表されました.その後,調査地は日本全土にお
よび,その成果は毎年学部の紀要などに発表されていま
す.収集された標本を主としてシンガーの体系により整
理し,一部修正を加えるなどして日本産のハラタケ目菌
類をまとめ,1961 年に京都大学から理学博士の学位を
取得されました.
その後,研究のフィールドは,マツタケを求めてアル
ゼリア(1970)に,また,国立科学博物館の組織した海
外 学 術 調 査 隊 の 一 員 と し て パ プ ア ニ ュ ー ギ ニ ア
(1971-72)にと広がりました.近隣の諸国には何度も出
かけられ,菌類の調査と,菌学者との交流や育成に努め
られました.韓国(1973,1975,1978,1990)や中国(1981,
1995,1996,1998),台湾(1982,1984)などです.ア
ラスカ(1976)及びアメリカ東部(1977)やシベリア(1979)
の菌類の調査にも出かけられました.さらに,南半球に
おいては,1987 年にニュージランド及びタスマニア
(オーストラリア)を,1992 年にはニュージーランドの
菌類調査を行われました.
先生はハラタケ目菌類の分類と地理的分布の研究を一
貫して行ってこられました.先生の発表された新種や新
組み合わせは,国内外をあわせ 215 種にのぼります.
イギリス菌学会,アメリカ菌学会,植物分類地理学会
(現,植物分類学会),及び日本菌学会に所属し,日本菌
学会の創立に立ちあわれ,評議員や理事をつとめられま
した.1979 年5月には日本菌学会第 23 回大会を滋賀県
青年会館を会場にして開催されました.1987 年4月に
は日本菌学会の会長に就任され,1989 年3月まで会長
本郷次雄先生を悼む
本郷 次雄博士(大正 12 年−平成 19 年)
Obituary
Dr. Tsuguo Hongo(1923 - 2007)
日菌報 48: 21−22,2007
追 悼 文
• 滋賀大学名誉教授
• 1950年代以降、現在ま
での主要なきのこ図鑑
のほとんどに関わる。
• 200を超える新種・新組
み合わせを行なう。
• 日本新産を報告した種
も数百種
- 41. 今関六也
Trans.Mycol. Soc.Japan 32 :309-310,1991
今 関 六 也 先 生 の 御 逝 去 を 悼 む
M emoirs of the late M r. R o k uya I MA z E K I
日本菌学会名誉会員元学会長,今関六也先生は
去る 7 月24 日心不全のため御逝去になりました
ここに,今は亡き先生の御人柄と日本菌学会にお
ける多大の御功績を偲び, 謹んで深甚なる敬意と
哀悼の意を表 し,本号を先生の追Jtr:1.号 として御霊
前に捧げたいと存じます
御承知の通り,先生は日本菌学会の創立に参画
されたおひとりで, 35年前の発足当初は長く幹事
として会報の編集にあたられ,後,あるいは評議
員 として,あるいは理事としてお尽くしになり ,
特に 1970年から 2 期 4 年間, さらに 1975年から
l 期 2 年間と, 実l ζ6 年の長き にわたっ て,学会
長 として本学会 の発展 lζ多大の貢献をなさいまし
た
今関先生は第七高等学校を経て東京大学農学部
農学科を御卒業 になり, 高IJ 手をお務めになった後,
東京科学博物館において15年にわたる研究生活を
お送りになりました. その後一転 して現在の森林総合研究所の前身である林業試験場にお移り
- 45. 初期のファイルの謎
• 学生時代の
• 昭和18−19年、19−20
年とされたファイルはある。
• その後のスクラップブック
は20−22(1947)年。
• 標本ノートは1950年10
月から。図版も。
• しかし、論文にはその間
の標本も引用されている。
1958版の解明にはその
辺りの資料も必要。