デザインの深い森 Vol.1 魔王のテーブルのうえで1. デザインの深い森
Vol.1 魔王のテーブルのうえで
ロフトワークの棚橋です。
イノベーションメーカーという肩書きで、クライアントの商品&サービス開発の支援をしています。
ただ、今回はあんまりロフトワークのイノベーションメーカーということとは無関係な話をするつもりです。
9. vol.1
魔王の
テーブルの
うえで
題して「魔王のテーブルのうえで」。
「分かる」ということを軸にしつつ、西洋の歴史における思考のかたちの変遷を追いながら、デザインという思考の特性を探っ
ていこうと考えています。
ちなみに、この背景にある絵はジュゼッペ・アルチンボルドという16世紀の画家が描いた「ウェルトゥムヌスに扮するルドル
フ2世」という作品。アルチンボルドは果実や野菜を使って描いた肖像画で知られる画家です。
24. ディセーニョ・インテルノ
diségno interno
「内実」VS「見せかけ」という対立が生まれたのが16世紀なんですね。
でも、これ、ちゃんと考えるとわかるんですけど、この対立構図が意識されること自体、遠近法的な見るもの/見られるもの
の対立構図、つまり、主客の分離の結果なんですよね。
そして、ディセーニョ・インテルノ。英訳すれば、インテリアデザインです。日本語だと、内部の設計?
28. 人間は神の写し
かつ
世界・宇宙の縮図
これ、実は画期的なパラダイムの転換がこの時代に起ころうとしているということなんですね。17世紀の中頃です。
というのも、ルネサンス期くらい(もっといえば、17世紀初期くらい)までは、人間は「神の写し」かつ「宇宙の縮図」であ
るということを誰も疑っていなかったのです。
37. イニゴー・ジョーンズ(1573-1652)”Engraving published in Les Plaisirs de L'Isle”(1673-74)
演劇の舞台にも遠近法は影響を与えます。
英国ヴィクトリア期の建築家イニゴー・ジョーンズは、プロセニアム・アーチと移動型舞台装置をイギリスの演劇に導入した
ことでも知られています。
遠近法で描かれた移動型の舞台背景と、絵画の額縁のようなプロセニアムアーチにより、遠近法同様の統一感を演劇空間にも
たらしたといえます。
39. クロード・ロラン (1604/1605‒1682) 『ヘリコン山のアポロンとミューズ』(1680)
ルネサンス期以降の美術においては絵画が主流になるといいましたが、この劇場の平面化も含め、さまざまなものが絵画化す
るピクチュアレスクという動きもみられるようになります。英国式庭園などもその1つですね。
背景には、17世紀のクロード・ロランに代表される地中海風景や古代風建築を描いた写実的な風景画のイギリス貴族間での流
行がありました。そうした絵画を邸宅の壁に飾っていた貴族たちが、窓の外に実際にそれを再現したくなたというわけですね。
54. 1887年のボン・マルシェ(建築はギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワロー)
世界最初の百貨店であるボン・マルシェは1852年頃から百貨店のシステムを確立。その際、ショーウィンドウや大安売りの季
節もので客を呼び寄せる手法をパリ万国博覧会を参考につくったといわれています。
建物は、1887年にオペラ座をモデルに、ギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワローの手により改装されています。
集めたものをいかに並べると、知の体系化につながるかとか、商品の販売につながるかとかを徹底的に考えられた時代です。
モノのレイアウトをいかに人が価値を感じるストーリーに仕立てられるか?ということですね。
57. 美術カタログ&オークション
ギャラリー、美術展
美術史
こうした美術品を並べることは実は、美術カタログ、とくにオークション出品用のカタログからはじまっています。それが何
から来たかというと、亡くなった人の財産リストなんですね。
それがギャラリーや美術展でのレイアウトになり、美術史という物語にもなっていきます。
92. 同じ/違う
真/偽
オリジナル/コピー
先に、16世紀までの「内実」と「見せかけ」の対立が、17世紀には「真偽」の対立にとって変わるようになったといいまし
た。
ようするに、こういう対立って本質的なものじゃなくて、あくまで変化する時代への反応としてあらわれたものということを
思い出すべきなんですね。まさに、僕らはこういう面で過去のデザインに騙されているわけです。
97. くらひら
蒙きを啓く
Enlightenment
誠実に、真なるものに光を当てようとするか。
そう、くらきをひらくですし、エントリとメントにはライトが隠れています。
光をあてることが、認知、すなわち「分かる」ことに結びつくように意味が変化した言葉は多い。
101. 光を当てる
遠近法的な主客分離
対象から離れた見る者
モノ自体が発光
世界とともにある
場への参加
遠近法ー平面化の話との関係でいうと、光をあてるというのはまさに遠近法との関係にあります。
一方で、後者のモノ自体が発光するというのは、ルネサンス以前の世界との関係に近い。人間が宇宙の縮図として、それとつ
ながっているような。
そこに戻るわけではないにせよ、「世界への参加」というのはいまの問題でもある。
その意味では、ルネサンス期以降
102. テーブル
分けて名付ける
同一性/相違性
魔の王
視覚表現(sign)を
まとわせる
分かる
さて、すこし強引にまとめましょう。まとめる必要はないんですけど。
今日みてきたところでは、「分かる」ことに向けて2つのことが行われています。
①テーブル:分けて名付ける、それは秩序づけることであり、その完了の目印として名前を与えること。それは視覚的なレイ
アウトで要素間の関係を明らかにすることで意味を生成する。
②魔の王:これは視覚表現をまとったモノであり、その意味ではモノ自体から人を遠ざける作業かもしれません。
103. サブジェクトから
プロジェクトへ
最後に。
先にも名前を出したフルッサーの別の著作に「サブジェクトからプロジェクトへ」という本があります。この本も大きな意味
でデザインを扱った本です。
そこで、フルッサーはいまや人は世界に従属する存在サブジェクトであることから、世界そのものを投影プロジェクトション
する存在に変わったとしています。その意味では「分かる」ことに重点を置いてきた、今日話したようなデザインの役割はす
でに終わったといえるかもしれません。しかし、僕らは惰性的に同じ思考を行っている感がある。
そういうプロジェクトの時代において僕らが考えるべきことは、どうデザインするかということよりも、「分かる」ことに変
えて何を目的にデザインするか?ということなのだろうと思います。そこで定めた目的に応じて、魔王のテーブルのうえでの
作業を引き続き続けること。それこそが僕らが考えるべきことかなと思っています。