インターネット上のホームページはHTMLという形式で書かれていますが、このHTMLは、文章の構造を記述するための基本的な<タグ>と、見た目をデザインするための<スタイルシート>の2つのパートに完全に分離していて、哲学的な表現をすると、「二元論」的な思想によって構成されていると言えるかもしれません。二元論というのは、2つの対照的な物事によって構成される世界観のことです。わかりやすい例で言えば、「善と悪」、「光と闇」、「天と地」、「精神と物質」、「男と女」といったような2つの物事に分ける考え方です。私たちは、時として、このどちらか一方に偏った考え方をします。「男と女」であれば、現代では割と平等に扱われていますが、かつては長い間「男尊女卑」的な考え方が世界的に優位にあった時期もありました。そうなる以前は逆に、女性のほうが優位な時代もありました。今でも、男性は女性を軽蔑し、女性は男性を軽蔑するような態度はよく見られるわけで、完全に中立の立場で考えることができる人は、まだまだ少ないような気もします。(しかし、最近では精神的にも肉体的にも中性的な性質を持った人が増えてきていますね。これは、新しい時代の兆候かもしれません。)「善と悪」という話になると、圧倒的に「善」の方が優位に立っているかにも見えますが、人のこころの中には同じくらいの「悪」が潜んでいるものです。しかし、人は「善人でありたい」という欲望から、自分の中にある「悪」を他人に気づかれないように隠してしまいます。実は、その欲望こそが「悪」なのですが……。かつて「魔女」と呼ばれた人たちは、自らこころの奥に押し込めた「悪」を抑えきれなくなって暴走してしまった人たちなのです。そのために、表向きは「善」を装っている世間の人たちからは白い目で見られ、やがては虐殺されるはめになってしまいました。キリスト教などの宗教関係者が書いているブログなどを見ると、とても良いことが書いてあってこころが洗われるような気持ちにもなりますが、しばらくすると飽きてしまいます。これは、私が飽きっぽい性格だというのもあるかもしれませんが、もしかしたら、あまりにも「善」に偏った内容ばかりなので、バランスを失っているせいなのではないでしょうか。やはり、人が生きていくうえでは、「善」だけではなく、「悪」も必要なのではないかと、そんな気がしてきました。もっとも、世の中には「悪」があふれすぎているのだから、「善」に偏った思想で少しは対抗しないと、バランスが取れないというのが現実なのかもしれませんけどね。いずれは、この「善と悪」に象徴されるような二元論的な世界観を統合し、完全にバランスの取れた状態にするのが理想だと思います。タロットでは大アルカナの11番目のカード、「XI 正義」の中で、女神が左手に天秤を持ち、二元論的な物事のバランスを取ろうとしています。0番の「0 愚者」を除いた21枚の大アルカナは、この「XI 正義」を中心にして、前半の 10 枚と、後半の 10 枚のカードに分けられ、完全にバランスを保っています。しかし、「XI 正義」のバランスは、女神の右手にある剣に象徴されるように、あくまで物事を2つに切り分ける二元論的なバランスでしかありませんWeniger lesen