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かつお節の社会学
~グローバリゼーションとは
何なのか?~
昭和10年ごろ、かつお節の生産量が
もっとも多かった地域はどこか?
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トン

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かつお節生産量府県別推移(1894[明治27]~1940[昭和15])

岩手
宮城
静岡
和歌山
高知
鹿児島
沖縄
台湾
南洋群島
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トン

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かつお節生産量府県別推移(1894[明治27]~1940[昭和15])

岩手
宮城
静岡
和歌山
高知
鹿児島
沖縄
台湾
南洋群島
これは何でしょう?
これは何でしょう?
なぜ北海道でかつお節製造?

小樽新聞 1908(明治41).10.19
なぜ北海道でかつお節製造?

浦河町西川鰹節製造所
(北海道大学明治大正期北海道写真目録(明治大正期の北海道・目録編))
昭和40(1965)年ごろと現在と比べ、
かつお節の消費量はどのくらい増えて
いるか、あるいは、どのくらい減って
いるか?
45,000

図

かつお節の国内生産および輸入量推移

40,000

35,000

国内生産量
輸入量

30,000

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1894

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年

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2004
今、かつお節はもても
て
???
「コク求める飽食な舌」
朝日新聞 2002.07.02 東京朝刊
「 だしたっぷりのめんつゆ。和食の味どこへ。
だしが香るよ、追いがつお――。
耳になじんだコマーシャルソングを取り上げ、「あの歌詞には根拠があるんです」と、ミツ
カン・マーケティング本部の北村典昭次長は話し始めた。
600億円まで伸びた家庭用つゆ市場で、同社の「追いがつおつゆ」は15%のトップシェ
アを持つ。
10年間でだし原料を3割増やしてきた。使う荒節の部位も、香りが際だつように変えた。
特にこの5、6年で、だしを濃くする路線は加速された。
年2回の綿密な調査を踏まえ、定番商品でも毎年味は見直す。「花ガツオの華やかな香りを
好み、ピンとくるお客様が多いことがわかりました」。メーカーが日本食の味を、多数派の好
む方向へ誘導していく。
技術担当の加古尚久さん(40)は「だしを前面に出すために、減らしたのはしょうゆ。発
売当初に比べて4割尐なくなりました」という。その分は塩で補う。うまみは求める一方、
しょうゆを重たいと感じる声をすくい上げた。
ぜいたくに材料を使った「料亭の味」が日常に求められ、だしはいま、素材の支え役から表
舞台に出たがっている。象徴が、深みのある濃い味わいをさす「コク」。言葉には「甚だし
い」という意味もある。」
1,400,000

醤油出荷量の推移

kl

1,200,000

1,000,000

800,000

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図

かつお節の国内生産および輸入量推移

40,000

35,000

国内生産量
輸入量

30,000

トン

25,000

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1894

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年

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調味料
調味料
为なかつお節加工食品と原材料名
食品名
メーカー名
商品名
ほんだし
風味調味 味の素
料
味の素
ほんだし鰹まる(濃厚
だし汁)
シマヤ
あわせだしの素鰹昆布
ヤマキ
ヤマサ
めんつゆ にんべん
キッコーマ
ン
ヤマキ
ヤマサ

ミツカン

しょうゆ キッコーマ
加工品 ン
その他

永谷園

为な原材料名
調味料(アミノ酸)、食塩、砂糖類、風味原料(かつ
おぶし粉末、かつおエキス)等
食塩、発酵調味料、かつお節、砂糖、かつおエキス、
昆布だし、調味料(アミノ酸等)等
調味料(アミノ酸等)、ぶどう糖、食塩、風味原料
(かつおぶし粉末、こんぶ粉末)等
だしの素(かつお風
食塩、調味料(アミノ酸等)、ぶどう糖、風味原料
味)
(かつおぶし粉末・こんぶ粉末)等
ヤマサの風味だし
調味料(アミノ酸等)、食塩、乳糖、風味原料(かつ
お節粉末)、砂糖
つゆの素
しょうゆ、風味原料(かつおぶし、こんぶ)、砂糖、
みりん等
本つゆ金の彩りだし
しょうゆ(本醸造)、風味原料(そうだかつおぶし、
かつおぶし、いわしぶし、ほたてエキス、こんぶ)、
糖類等
蕎麦つゆ
しょうゆ(本醸造)、かつおぶし、糖類、みりん、食
塩、酵母エキス、たん白加水分解物、醸造酢
ざるそば専科かつお節 醤油、風味原料(かつお節、そうだ節、かつお節エキ
の一番だし
ス)、砂糖、みりん、発酵調味料、食塩、酵母エキス、
アルコール、酸味料
追いがつおつゆ
しょうゆ(本醸造)、風味原料(かつおぶし、しいた
け、かつおぶしエキス、こんぶ)、糖類、食塩、醸造
酢、かつおエキス、酵母エキス等
だししょうゆ
しょうゆ、水あめ、ブドウ糖果糖液糖ほたてエキス、
酵母エキス、かつおぶしエキス、かつおぶし、にぼし、
こんぶ等
あさげ
米みそ、鰹枯節削り節、食塩、酵母エキス、昆布エキ
ス、煮干粉、酒精、調味料(アミノ酸)
45,000

図

かつお節の国内生産および輸入量推移

40,000

35,000

国内生産量
輸入量

30,000

トン

25,000

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1993

1992

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ン
ト

図2 冷凍カツオの国別輸入量推移

90,
000

合計
キリ
バス
台湾
インド
ネシア
タ
イ
モルディ
ブ
フィ ピン
リ
ソロモン諸島
シンガポール
その他

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0
かつお節はどうやって作るのか?
アン
調味料
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史
( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
焼津水産会沿革史( 1919=大正8)より
かつお節って伝統的な食べ
物?
「民間伝承の会」が1941年に全国58ヶ所で行った食べもの調査
(成城大学民俗学研究所編, 1990, 『日本の食文化――昭和初期・全国食事習俗の記録』岩崎美術社)











京都府竹野郡木津村(現京丹後市)
• 「だしは、じゃこを用いる。鰹や昆布煮出しなどは客用に
まれに用いる」
静岡県引佐郡都田村(現浜松市)
• 「だしは、平常はほとんど用いなかった。菜類を煮る時、
水油を一、二滴落してだしとした。以前、鰹節はお正月だ
けで平常は用いなかったという。現今はモン[紋]日・客
用その他に用いられる」
愛知県丹羽郡池野村(現大山市)
• 「鰹をだしにする。ただしこれは上流。たまに煮干・削り
粉を使う。これは中流以下」
岐阜県郡上郡奥明方町(現郡上市)
• 「だしとしてはうむし・煮干・鰹等を用いる。平常はだし
を用いない方が多い」
長野県南佐久郡川上町
• 「現在は鰹節・ごまめ・削節などを使う。昔は、だしは何
も使わなかった」
かつお節って伝統的な食べ物?
実は、江戸後期以降「高級品」として都市を中
心に消費を伸ばした商品

殖産興業

沖縄
かつお節

植民地

移民
かつお節の歴史
•
•

•

カツオの干物食、生食、荒節
↓
かつお節の誕生=17世紀後半、紀州印南出身の
角屋甚太郎が土佐で培乾・カビづけを開発
↓
17世紀後半、かつお節問屋成立
•

•
↓
•

1699年にんべん創業

18世紀、鹿児島や房州(千葉)などへの製法普
及
明治:全国にかつお節生産地が広がる。
–
–
–

各県で殖産興業としてかつお節産業育成政策
明治後半:カツオ船の動力化
産地間競争激化
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かつお節生産量府県別推移(1894[明治27]~1940[昭和15])

岩手
宮城
静岡
和歌山
高知
鹿児島
沖縄
台湾
南洋群島
沖縄におけるカツオ漁・かつお節産業開始の意味

• もともとカツオ産業はなかった
• 内地でのカツオ・かつお節産業育成政策
(各県の殖産興業)
↓
• 沖縄へも広がり、沖縄でカツオ産業が始
まる
明治時代、日本各地で広がったかつお節産業育成政
策

•

1907(明治30)年第二回水産博覧会の記
録
• 茨城県:「[明治]23年[1890年]高知県より
鰹節の教師を聘して改良に着手す」
• 和歌山県:「[明治]28年[1895年]より3ヶ年
地方税を以て高知県より鰹節改良教師を聘せり」
• 新潟県:「[明治]28年[1895年]より試験場
を設置し、教師を静岡県より聘して鰹節の製造を
開始」
かつお節が登場した博覧会・品評会
明治
年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)
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年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)
明治
年)

16 年 ( 1883 第一回水産博覧会
大日本水産共進会
23 年 ( 1890 第三回内国勧業博覧会
26 年 ( 1893 関西水産共進会
28 年 ( 1895 第四回内国勧業博覧会
29 年 ( 1896 第六回水産品評会

30 年 ( 1897 第二回水産博覧会
31 年 ( 1898 第七回水産品評会
32 年 ( 1999 大日本水産品評会

33 年 ( 1900 二府二十一県水産共進会
36 年 ( 1903 第五回内国勧業博覧会
39 年 ( 1906 大日本水産会創立25年総会水産共進会

40 年 ( 1907 京城博覧会

博覧会・共進会・品評会(明
治中期:1885~98):

• 開催5534回
• 延べ日数3万3096日
• 延べ観覧者数1650万
2658人
(清川雪彦「殖産興業政策としての
博覧会・共進会の意義」)
鹿児島県指宿市(山川) 西岡水産が保有する第2回水産博覧会の賞状
北海道でも作っていたかつお節

小樽新聞 1908(明治41).8.23

小樽新聞 1908(明治41).10.19
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かつお節生産量府県別推移(1894[明治27]~1940[昭和15])

岩手
宮城
静岡
和歌山
高知
鹿児島
沖縄
台湾
南洋群島
本部
沖縄県池間島における
カツオ漁・かつお節製造の始まり
• 明治27、28年から沖縄出漁してきた宮崎県のカツオ船
が“根拠地漁業”だった→技術移転が進んだ
↓
• 沖縄県座間味で1901(明治39)年に商業的なカツオ漁
業が始まる。
↓
• 1906(明治39)年、鹿児島県人、鮫島幸兵衛(「寄留
商人」)が池間島でカツオ漁業を始める。
• そのあとすぐに池間島民によるカツオ漁業・かつお節生
産が始まり、急速に発展
池間島におけるカツオ漁・
かつお節製造の始まりの背景
• 裸潜り/追い込みという技術
• 1894(明治27)ごろからの八重山出漁(ボ
タン用貝の採集)

• 「寄留商人」の存在
• 沖縄県の積極的な政策
– カツオ釣り指導者、かつお節製造指導
者の派遣(1910=明治43年~)
• 日本全体で考えるとカツオ漁・かつお節
生産の後発地としての沖縄
1923年における沖縄のかつお節工場
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かつお節生産量府県別推移(1894[明治27]~1940[昭和15])

岩手
宮城
静岡
和歌山
高知
鹿児島
沖縄
台湾
南洋群島
沖縄県かつお節生産量推移
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行政の後押し

• 沖縄県は、1910(明治43)年、カツオ漁の技術指
導者8名を宮崎から、かつお節製造の技術指導者8
名を高知県から雇い入れ、県内各かつお節製造地
(池間島など)へ派遣
– 「県下[かつお節]製造家の現状を見るに薩摩[鹿児島]日向
の[宮崎]の者に依って開拓せられ其の製造法も亦混沌たる状
態である(中略)故に其の価格も至って低く各需用地に於ても
鹿児島県大島産の下等品として販売せられ沖縄鰹節として世上
に出ること能わざる」(『沖縄毎日新聞』1910[明治43]年5
月24日)
戦前の「教師」 の記憶
【仲原好子さん(1926=大正15=年生まれ。女) 】
「学校を卒業してすぐ工場で働きました。池間の女性はみん
なそうでした。あのときは焼津から教師もいらっしゃって削
りを教えてましたよ。削りの技術が大事だからわざわざ教師
さんを呼んだのです。工場から二人ずつ「工習生」を選ん
で、工場とは別にあった削り工場で習いました。私たちの工
場では、私ともう一人が削りを習いました。毎年試験をやっ
て、削りの一番二番を決めていました。明治のころからやっ
てったらしいよ。教師や工場長が審査員をやっていました。
明治のときに教師さんが作ったという歌もありました。
《ここに一万円の金があれば 沖縄県の鰹節を買い集め
池間の好きな女工さんに削らせて おそばで見物してみた
い》
という歌でした」
戦前の沖縄におけるカツオ産業の特
徴
• 組合制度
– 集落と一体化した組合
– 餌取りからかつお節生産までの一貫生
産体制
– 負債構造
池間島:

小禄治世さん(1908~2003)の語り
「追い込みや素潜りはもうかっていたが、潜りもあまり達者
じゃなかったし、なんだかこんな仕事でこの先生活できるだ
ろうか、と思っていた。ちょうど友人が床屋をやっていて、
『治世、床屋を習って、床屋をやらんか』と誘ってくれた。
床屋をやったら一日七〇~八〇銭ともうけがよかった。しか
し床屋は家族に反対され、兄さんが『かつお節工場に入れ』
というのでかつお節工場に入った。二一歳のときだった。当
時はみな組合だった」
池間島:

小禄治世さん1908~2003)の語り
「工場に入ったときの月給は五円だった。最初の二年間は、
狩俣から来た連中と一緒に、水運びや掃除など雑役をやった
ね。井戸から小伝馬船(ふりがな/こてんません)(はしけ
ぶね)で工場まで水を運んでくるといった仕事だった。
戦前のかつお節工場は茅葺きだった。一五~二〇坪の乾燥
場と二〇坪の宿舎と倉庫があった。狩俣から来た人たちはこ
の宿舎に泊まっていた」
池間島:

小禄治世さん(1908~2003)の語り
「三年目から工場を替わり、乾燥の係になった。乾燥室の竹の
棚の上にかつお節を並べる。並べ方が難しい。下手な人がやる
と、かつお節が曲がっていくからね。
今と違うのは、当時は氷がなかったことだね。船が釣ってく
るのが一群だけだったらよかったが、二群、三群の場合はたい
へんだった。大漁のときは午前六時ごろまでやるときもあっ
た。いちばんやったときは、三日三晩寝ないでやった。あれが
最高だった。もう飯を食う力もなかった。あのときは三斤(=
約二キログラム)も痩せたね」
池間島:
個人船の登場と南洋移民の開始

組合の崩壊

– 負債構造に世界恐慌(昭和初期)が追い討ち

新リーダーの台頭
– 県の水産政策の申し子たち
↓

個人船の登場
南洋移民の開始
戦前におけるかつお節生産の広が
り
日本
沖縄
ボルネオ

オランダ領イン
ド
(現インドネシ
ア)

台湾

南洋群島
(ミクロネシ
ア)
台湾:
• 1895年日本の植民地に
• 1904年ソウダ節生産開始
• 1910年かつお節生産開始
アン
南洋群島(おそらくパラオ)でのかつお節工
場

『南洋群島写真帳』南洋群島文化協会・南洋協会南洋群島支部, 1938年
より
南洋群島(おそらくパ
ラオ)でのかつお節工
場

『南洋群島写真帳』南洋群島文化協会・南洋協会南洋群島支部, 1938年
望月雅彦『ボルネオに渡った沖縄の漁夫と女工』よ
南洋移民の背景

•
•
•
•

組合の破綻、個人船の登場
政府(南洋庁、沖縄県)による奨励
南洋漁業へというライフコースの確立
沖縄漁民の優位性(餌漁とカツオ漁の両方ができ
る)
政府(南洋庁、沖縄県)による奨励

• 南洋庁=直接的な誘導
– 1922 年、南洋庁水産業奨励規則
→水産業奨励補助金(漁具、漁船、技術員への補助金)
開始

• 沖縄県=間接的な誘導
– 明治以来のカツオ産業、遠洋漁業奨励
• 1928年~大型船の貸与政策
アン
小禄治世さん(1908~2003)の語り
「わしはトラック諸島の火曜島で働いた。本土の人が
経営するかつお節工場で兄さんと一緒に働いた。漁師
はみな沖縄の人だったよ。所帯持ちで夫婦で来ている
者は、夫が船に乗り、奥さんが工場でかつお節の削り
の仕事をした。
トラックでのかつお節製造は、難しくなかったね。
トラックでは、ものが腐らない。かつお節を作るには
トラックは最高のところだよ。
トラックの生活は楽だったね。買うものは何でも
あった。池間にいたときは黒砂糖しかなかったけれ
ど、トラックではざらめがいくらでもあったねえ。お
米は本土からのものが売られていたよ。夏島に行くと
料亭があってね、一晩中飲み明かして、女を買って、
遊ぶ者も多かった。わしはしなかったけれど」
G.Z.さんの語り(1920[大正九]年生ま
れ)
「僕は一五歳のときにトラック諸島へ行った。水
曜島のオレイ村というところに一年あまりいた。金
剛丸という船に乗っていた。一五歳で行ったから最
初は小間使いをやった。
当時池間ではたいしてもうからなかったからね。
もうかるから南洋へ行くという者が多かったね。
ポナペにおじさんがいたので、そのあとポナペ島
に行った。一年半ポナペにいたあと、『内地に行き
たい』と思い、内地に帰った。若いから、東京に
行って何かやろうと思ってね。当時は池間から見た
ら、ポナペに行くのも東京に行くのもあまり差がな
いという感じだった。横浜の鶴見に三年ばかりい
て、いろいろな仕事をしたね」
南洋群島におけるかつお節生産

• 沖縄移民たちのかつお節工場
↓
• 南興水産による統合
↓
• 戦争
•
•
•
•

徴用(漁船+人)
引き揚げ
空襲
収容
トラック(チューク)諸島トノアス島(
南興水産かつお節工場跡(2000年撮影)
トラック(チューク)諸島トノアス島(
南興水産かつお節工場跡(2000年撮影)
「南洋節」为要三社の比較(1939年現在)
社名

南興水産

創業年
実質的経営者
事業所

1935年
庵原市蔵
パラオ・サイパン・トラック・
ポナペ他
事業内容(計画も含 カツオ・マグロ漁業、鰹節・鰹
む)
缶詰製造、製氷、冷凍事業、水
産物販売業
組織再編
1937年、南洋拓殖(株)系列下に
編入
カツオ漁船数
直営船約60隻
買取船約20隻
従業員数
約4,500人
日本人

約4,500人

地元住民
0人
年間生産額
370万円
おもな製品と販売先 日本向け鰹節

閉鎖時期

ボルネオ水産

大岩漁業

1933年
折田一二
シアミル島・バンギー島

1933年頃
大岩勇
ビトゥン・テルナテ

カツオ・マグロ漁業、鰹
節・鰹缶詰製造

カツオ漁業、鰹節製造、冷
凍業

1935年、共同漁業(株)子会
社
直営船12隻
移住漁業団5隻
461人(うち移住漁業団86
人)
461人(うち移住漁業団86
人)
0人
101.3万円
①日本向け鰹節
②北米向け缶詰

1941年、南洋貿易に吸収さ
れ東印度水産(株)に改組
10隻
481人
128人

353人
18万円
①現地向け鮮魚
②現地向け半薫製
③日本向け鰹節
1945年9月30日、連合国最高司 1942年12月開戦時、英軍に 1945年消滅
令官命令により閉鎖
よる社員の捕虜収容により
実質的閉鎖
ボルネオ水産

南興水産

大岩漁業
アン
現在のシアミル島(2012年撮影)
現在のシアミル島(2012年撮影)
南洋群島におけるかつお節生産

• 沖縄移民たちのかつお節工場
↓
• 南興水産による統合
↓
• 戦争
•
•
•
•

徴用(漁船+人)
引き揚げ
空襲
収容
戦争とカツオ漁場
焼津漁船の徴用船数
徴用年
徴用漁船数 うち沈没船数
1938 ( 昭 和 13 )
17隻
4隻
年
1939 ( 昭 和 14 )
不明
不明
年
1940 ( 昭 和 15 )
24隻
20隻
年
1941 ( 昭 和 16 )
12隻
9隻
年
1942 ( 昭 和 17 )
6隻
3隻
年
1943 ( 昭 和 18 )
16隻
14隻
(焼津漁業協同組合編纂委員会『焼津漁業史』焼津漁業協同組合より作
年
成)
1944 ( 昭 和 19 )
9隻
8隻
年
1945 ( 昭 和 29 )
1隻
不明
年
合計
85隻
58隻
Iさん(女性.沖縄・慶良間諸島出身)の語り
(1944.2.17トラック大空襲)
「前の月に産んだ赤ん坊と一緒に赤城丸に乗った。撃墜されて、みんな海に飛び
込んだ。みんな救命具を着けていたが、日本の救命具は綿だったから、もたない
のよ。私も、子どもを体に巻きつけ、『お父さん、お母さん!』と泣きながら海
に飛び込んだ。海が燃えていた。
――そうこうしていると、敵はもういなくなっていた。小さいボートが浮いて
いて、人が乗っていた。それに乗った。運がよかった。夕方になって、また飛行
機が来て、パラパラ落としていった。みんな死んだふりをした。みんな疲れてい
た。
四日間、海に波まま風まま揺られていた。島からだいぶ離れていた。エンジン
も何もついていない船で、二十数名乗っていた。死んでいる人もいた。
飛行機が飛んでいるから『まただ』と思っていたら、日本軍だった。『友軍だ
よ!』と言って、日本の旗を振ったが、そのあと助けには来てくれなかった。こ
ちらが尐ない人数だったからでしょう。四日目の夕方、大きな船が来て、助けて
くれた。みんな油にまみれて真っ黒になっていた。一昼夜でトラックに戻った。
赤ん坊はもう死んだものと思っていた。しかし、隣の人が『奥さん、奥さん、
赤ちゃん生きているよ』と言った。足をつかまえて、背中をばんと叩くと、生き
ていた」
戦後――

• 海外生産は中断
• 生産地の再編
かつお節生産量府県別(戦後:1948~1973)
12000

10000

宮城
8000

静岡

鹿児島

6000

沖縄

4000

2000

年

1972

1970

1968

1966

1964

1962

1960

1958

1956

1954

1952

1950

0
1948

トン

高知
年
2010

2008

2006

2004

2002

2000

1998

1996

1994

1992

1990

1988

1986

1984

1982

1980

1978

1976

1974

1972

1970

1968

1966

1964

1962

1960

15000

1958

20000

1956

25000

1954

1952

1950

1948

トン

35000

かつお節生産量府県別(戦後:1948~2010)

30000

宮城

静岡

高知

鹿児島

沖縄

10000

5000

0
戦後――

• 海外生産は中断
• 生産地の再編
• 産業構造の変化(1960年代)
•
•
•

機械化(グラインダー)=削り職人の衰退
荒節の比重が増大
フレッシュパックの登場(1969)
グラインダー
静岡県浜岡町[現御前崎市]出身
の栗田次平さん(昭和九年生ま
れ)は、中学卒業後、実家の食い
口減らしのためにかつお節職人の
ところに年季奉公に入った。そこ
で削りの仕事の修行をし、五年後
に独立した。
「削り方は、親方と向かいあって
やり方を見ながら覚えていったん
だ。受け継がれてきた削り方って
言うかな、いいところだけを活か
す方法があるからね。道具もみん
な自分の仕事のしやすいように自
分でこしらえる。ちょうど全国を
渡っていた知人が、歳をとって出
られなくなったからどうかと誘っ
てくれて、それで親方から独立し
て、全国を渡るようになった。鹿
児島の山川、三重の引本(紀北
町)、そして宮城の女川を渡った。
当時私たち職人が職工組合を作っ
ていて、全国で通用する賃金設定
をしていたんだ。それもあって給
料はよかったよ」。
しかし、削り機械の登場で、栗
田さんのような削り職工の役割は
小さくなっていった。栗田さんも、
一九六三(昭和三八)年に職工を
やめた。「職人にはあまり用がな
くなってこのままでは生活できな
いと思ったからね」。
調味料
戦後――

• 海外生産は中断
• 生産地の再編
• 産業構造の変化(1960年代)
•
•
•

機械化(グラインダー)=削り職人の衰退
荒節の比重が増大
フレッシュパックの登場(1969)

• 海外進出(1970年代~)
•
•

漁場を海外へ求める
かつお節生産の海外進出
1970年代以降の海外カツオ漁

• 政府・業界がカツオ漁場を海外に広げる方針
– 1969年、水産庁「海洋開発推進協議会」

↓
• ニューギニア、ソロモン諸島での遠洋カツオ漁業
– 大手水産会社+大手商社による遠洋漁業・合弁会社
– 沖縄漁民たちの出漁

↓
• かつお節の原料が遠洋カツオに
ノロ

ソロモン大洋
ソロモン大洋

•
•

1973年 大洋漁業とソロモン諸島政府との合弁会
社「ソロモン大洋」始まる
カツオ漁+ツナ缶+かつお節生産
•

•

沖縄漁民たちが契約出漁

日本のODA(政府開発援助)も大きく投入
– 1988年~、無償資金協力「ノロ地区漁業基地整備計画」(18
億円。貯水タンク、給油パイプライン、漁業用岸壁、冷蔵庫、
製氷機などを建設)
– 1992~1994年、無償資金協力「ノロ地区港湾整備計画」(3億
円)

•

2001年、撤退(マルハ全体の合理化のため)
–

ソロモン諸島政府の出資で「ソルタイ」として再出発
ソロモン大洋
ソロモン大洋
ソロモン大洋
カツオの水揚げ
ソロモン大洋
ソロモン大洋缶詰工場:
10~20代の女性労働者たち

•
•
•

長すぎる労働時間
違法な児童労働(16歳未満の労働)
健康問題
– 尐ない食事・休憩、足腰を冷やす職場環境、慢性疲労

•
•
•

不十分な労災
妊娠解雇の問題
妊娠や性病の問題
戦後――

• 海外生産は中断
• 生産地の再編
• 産業構造の変化(1960年代)
•
•
•

機械化(グラインダー)=削り職人の衰退
荒節の比重が増大
フレッシュパックの登場(1969)

• 海外進出(1970年代~)
•
•

漁場を海外へ求める
かつお節生産の海外進出

• 調味料原料としてのかつお節へ(1980年代~)
• カツオ輸入の増大
1980年代以降のかつお節
かつお節製品の伸び
– かつお節小口パック
• 1969年にんべん「フレッシュパック」開発

– めんつゆ
– だしの素
为なかつお節加工食品と原材料名
食品名
メーカー名
商品名
ほんだし
風味調味 味の素
料
味の素
ほんだし鰹まる(濃厚
だし汁)
シマヤ
あわせだしの素鰹昆布
ヤマキ
ヤマサ
めんつゆ にんべん
キッコーマ
ン
ヤマキ
ヤマサ

ミツカン

しょうゆ キッコーマ
加工品 ン
その他

永谷園

为な原材料名
調味料(アミノ酸)、食塩、砂糖類、風味原料(かつ
おぶし粉末、かつおエキス)等
食塩、発酵調味料、かつお節、砂糖、かつおエキス、
昆布だし、調味料(アミノ酸等)等
調味料(アミノ酸等)、ぶどう糖、食塩、風味原料
(かつおぶし粉末、こんぶ粉末)等
だしの素(かつお風
食塩、調味料(アミノ酸等)、ぶどう糖、風味原料
味)
(かつおぶし粉末・こんぶ粉末)等
ヤマサの風味だし
調味料(アミノ酸等)、食塩、乳糖、風味原料(かつ
お節粉末)、砂糖
つゆの素
しょうゆ、風味原料(かつおぶし、こんぶ)、砂糖、
みりん等
本つゆ金の彩りだし
しょうゆ(本醸造)、風味原料(そうだかつおぶし、
かつおぶし、いわしぶし、ほたてエキス、こんぶ)、
糖類等
蕎麦つゆ
しょうゆ(本醸造)、かつおぶし、糖類、みりん、食
塩、酵母エキス、たん白加水分解物、醸造酢
ざるそば専科かつお節 醤油、風味原料(かつお節、そうだ節、かつお節エキ
の一番だし
ス)、砂糖、みりん、発酵調味料、食塩、酵母エキス、
アルコール、酸味料
追いがつおつゆ
しょうゆ(本醸造)、風味原料(かつおぶし、しいた
け、かつおぶしエキス、こんぶ)、糖類、食塩、醸造
酢、かつおエキス、酵母エキス等
だししょうゆ
しょうゆ、水あめ、ブドウ糖果糖液糖ほたてエキス、
酵母エキス、かつおぶしエキス、かつおぶし、にぼし、
こんぶ等
あさげ
米みそ、鰹枯節削り節、食塩、酵母エキス、昆布エキ
ス、煮干粉、酒精、調味料(アミノ酸)
1990年代以降のかつお節
•
•
•
•

輸入カツオの伸び
海外かつお節生産の定着と伸び
外国人船員の増加
揺れるかつお節生産地
図

冷凍カツオの国別輸入量

90,000

合計
80,000

キリバス
台湾

70,000

インドネシア
タイ

60,000

50,000

モルディブ
フィリピン

トン

ソロモン諸島

40,000

シンガポール
その他

30,000

20,000

10,000

0

年
45,000

図

かつお節の国内生産および輸入量推移

40,000

35,000

国内生産量
輸入量

30,000

トン

25,000

20,000

15,000

10,000

5,000

0
1894

1904

1914

1924

1934

1944

年

1954

1964

1974

1984

1994

2004
図4
9,000

合計
8,000

中華人民共和国
台湾
タイ

7,000

フィリピン
インドネシア
モルディブ

6,000

ソロモン諸島
その他

トン

5,000

4,000

3,000

2,000

1,000

0

年

かつお節国別輸入量推移
図4
9,000

合計
8,000

中華人民共和国
台湾
タイ

7,000

フィリピン
インドネシア
モルディブ

6,000

ソロモン諸島
その他

トン

5,000

4,000

3,000

2,000

1,000

0

年

かつお節国別輸入量推移
アン
ビトゥン(Bitung)
ビトゥンのかつお節の80年

• 第1期=戦前期(1930年ごろ~45年)
•

個人経営から企業化・国策化へ

• 第2期=空白期(1945~70年ごろ)
• 第3期=混乱期(1970~80年代末)
•

小規模経営の乱立と挫折

• 第4期=安定期(80年代末~現在)
•

削り節原料の安定供給
「南洋節」为要三社の比較(1939年現在)
社名

南興水産

創業年
実質的経営者
事業所

1935年
庵原市蔵
パラオ・サイパン・トラック・
ポナペ他
事業内容(計画も含 カツオ・マグロ漁業、鰹節・鰹
む)
缶詰製造、製氷、冷凍事業、水
産物販売業
組織再編
1937年、南洋拓殖(株)系列下に
編入
カツオ漁船数
直営船約60隻
買取船約20隻
従業員数
約4,500人
日本人

約4,500人

地元住民
0人
年間生産額
370万円
おもな製品と販売先 日本向け鰹節

閉鎖時期

ボルネオ水産

大岩漁業

1933年
折田一二
シアミル島・バンギー島

1933年頃
大岩勇
ビトゥン・テルナテ

カツオ・マグロ漁業、鰹
節・鰹缶詰製造

カツオ漁業、鰹節製造、冷
凍業

1935年、共同漁業(株)子会
社
直営船12隻
移住漁業団5隻
461人(うち移住漁業団86
人)
461人(うち移住漁業団86
人)
0人
101.3万円
①日本向け鰹節
②北米向け缶詰

1941年、南洋貿易に吸収さ
れ東印度水産(株)に改組
10隻
481人
128人

353人
18万円
①現地向け鮮魚
②現地向け半薫製
③日本向け鰹節
1945年9月30日、連合国最高司 1942年12月開戦時、英軍に 1945年消滅
令官命令により閉鎖
よる社員の捕虜収容により
実質的閉鎖
大岩勇の大岩漁業
「南洋節」为要三社の比較(1939年現在)
社名

南興水産

創業年
実質的経営者
事業所

1935年
庵原市蔵
パラオ・サイパン・トラック・
ポナペ他
事業内容(計画も含 カツオ・マグロ漁業、鰹節・鰹
む)
缶詰製造、製氷、冷凍事業、水
産物販売業
組織再編
1937年、南洋拓殖(株)系列下に
編入
カツオ漁船数
直営船約60隻
買取船約20隻
従業員数
約4,500人
日本人

約4,500人

地元住民
0人
年間生産額
370万円
おもな製品と販売先 日本向け鰹節

閉鎖時期

ボルネオ水産

大岩漁業

1933年
折田一二
シアミル島・バンギー島

1933年頃
大岩勇
ビトゥン・テルナテ

カツオ・マグロ漁業、鰹
節・鰹缶詰製造

カツオ漁業、鰹節製造、冷
凍業

1935年、共同漁業(株)子会
社
直営船12隻
移住漁業団5隻
461人(うち移住漁業団86
人)
461人(うち移住漁業団86
人)
0人
101.3万円
①日本向け鰹節
②北米向け缶詰

1941年、南洋貿易に吸収さ
れ東印度水産(株)に改組
10隻
481人
128人

353人
18万円
①現地向け鮮魚
②現地向け半薫製
③日本向け鰹節
1945年9月30日、連合国最高司 1942年12月開戦時、英軍に 1945年消滅
令官命令により閉鎖
よる社員の捕虜収容により
実質的閉鎖
ビトゥンのかつお節の80年

• 第1期=戦前期(1930年ごろ~45年)
•

個人経営から企業化・国策化へ

• 第2期=空白期(1945~70年ごろ)
• 第3期=混乱期(1970~80年代末)
•

小規模経営の乱立と挫折

• 第4期=安定期(80年代末~現在)
•

削り節原料の安定供給
ビトゥンのかつお節工場(2009年)
生産能力(t/日)

2008年生産量(t
)

1 サリ・チャカラン社 ビトゥン 1985年

20t

759

2 サリ・マラルギス社 ビトゥン 1987年

10t

260

3 マナド・ミナ社

ビトゥン 1994年

25t

980

4 エトゥミコ社

ビトゥン 2000年

12t

346

5 ニチンド・マナド社 アムラン 2001年

15t

271

6 セレベス・ミナ社

30t

会社名

所在地

創業年

ビトゥン 2009年
かつお節生産地の声

枕崎・NKさん(加工組合組合長)
「うまいかつお節を作ろうとしている。煮汁はどこ
にも負けない。煮熟の水は1週間に1回変える。今の
取引相手の中には、1000円の荒本節をください、
と値段を言う者が多い。おいいしい荒本節をくださ
いというところはない。こっちはおいしいかつお節
を作りたい」
枕崎・Sさん(若い経営者)
「そんなに大きくもうからなくてもよい。モノを作
る我々がちゃんと生き残っていける日本にしない
と」
かつお節生産地の声

山川・SYさん(本枯節)「うちは親父の代から本枯
節を作っています。自分は工場を大きく拡張しよう
という性格でもないし、荒節中心で工場を大きくし
ようとしても、すでにそういう方向でやっている他
業者にはかないません。お客さんにも大事にしても
らっています。量からすると枯節は全体のほんの尐
しなんでしょうけど、だからこそおいしいものを
作っていきたいと思っています」
山川・NHさん(若い女性工場長)「この業界は儲か
るときも損するときもある。長い期間でトントン。
短期的な利益を求めてはいけない」

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