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沼 津
復活への道
地域デザイン研究所沼津 山田献策
○はじめに
先日、沼津の中心市街地で商店を営む知人から「いつ店を閉鎖するか悩んでいる」という話を聞きま
した。このお店は明治初期に開業し、商業都市沼津の栄枯盛衰をそっくり体現しているような老舗中の
老舗です。沼津の中心市街地は歩いていてもいくつかのお店で事業を続けていくことが大変なんだろう
なということを容易に察してしまえる憂うべき状況であることは否定することができないようです。
そのことを裏付けるように、昨年(平成 27 年)の夏、本町まちづくり研究会が約 1 か月間に及ぶ「再発
見!ザ本町」と銘打ったイベントで行ったアンケート調査で、沼津の現状について「昔に比べ寂しくな
った」が 95.8%、「現状で満足」が 2.8%、「その他(ひどい状態との添え言葉)」が 1.4%となっていまし
た。
ついでながら、本町まちづくり研究会は本町のかつての栄光を取り戻そうと数年前から地元有志が自
発的に活動している団体で、「本町における旧東海道と本陣・脇本陣」と題する講演会とそれに合わせた
「本陣等で振る舞われていた料理」を再現し、それをつまみに日本酒を飲み交わしながら本町のまちづ
くりを語り合う会を開催するなどユニークな活動を続けています。
ところで私は月に何度となく電車に乗って他都市へ足を運んでいますが他都市と相対化するまでもな
く沼津の衰退は目を覆いたくなるほど顕著です。沼津の中心市街地では古くから営む事業所(商店)が
毎年のように一軒また一軒と閉鎖し、今後も閉鎖の危機に晒されている事業所がいくつもある深刻な状
況であることは明らかで、私たち市民にできることは何かを真剣に考えなくてはならないという思いか
ら、海外の都市を視察した経験を交え、沼津の復活の可能性について述べてみることにしました。
○歴史的考察
沼津市の発展の中心となってきた本町は江戸時代、本陣・脇本陣を中心に大小多くの旅籠が連なり、
交通の要衝として賑わっていました。現在の本町(旧上本町)から下本町に掛けての南北を貫く通りは
道幅が4間半もあり、当時の東海道の一般的な道幅を大きく上回るメインストリートでした。旧東海道
の要衝であったことは確かでしょう。更に、沼津城を中心にした城下町としての性格も併せ持ち、それ
に伴って、本町界隈は旅籠のほか商店、畳・建具・桶などの職人、料亭などの遊興関係の産業が栄えて
いました。言わば生活密着型の産業が張り付いていたと捉えることができます。この流れは明治期に入
ってからも引き継がれ、とりわけ明治 22 年に鉄道が開通してからは、島郷に御用邸が造営されたことで
風光明媚な景観が全国的に注目される中、沼津の賑わいは一段と活力あるものとなりました。更に狩野
川の河岸港としての活用は海上交通の要衝として伊豆などの沿岸部と内陸部との橋渡しで物流の拠点と
なっていたほか、右岸の御成橋下流に設置された魚市場は本町界隈に多くの恵みをもたらしていました。
その頃の沼津市の様子を象徴する文章をいくつか紹介します。
・明治 I0 年の静岡新聞発行の小冊子による商店の紹介記事には、静岡 27 店、清水 7 店、吉原 11 店
など、静岡~沼津間にある 116 店の店名があがっているが、沼津は最多の 44 店の名があがってお
り、商業が盛んだったことがうかがえる。
・駿東郡沼津町誌は 「明治弐十弐年鉄道開通以後ノ沼津ハ、東駿ノ沼津ニアラズシテ、一躍東海ノ
沼津ト化シ、東京横浜ハ恰モ隣家ノ如ク、静岡名古屋ハ軒先ノ感アリ。東西ノ貨物ココ二集産シ、
伊豆ノ咽喉ヲヤクシテ、駿河湾ノ利権ハ掌中ノモノノ如シ」と述べています。
・大正 I4 年ころの沼津の街の様子を駿豆新報社発行の「沼津三島の花」は「沼津の銀座即ち本町通
りには銀行大商店軒を並べ軒燈の光り不夜城をなしてゆきかふ人馬の足音繁く昼は近在よりの顧
客多く商売尤も繁盛せり、横町、上土町を通りて追手町に出れば警察、郵便局を初め諸官庁銀行
大会社は多く城内区に在りて行政司法の諸機関は大方此処に集りて繁華を極めたり、更に西に進
めば沼津駅に至る街路左右には旅館、雑貨、商店櫛比して旅人の遊行する人尤も多し」と記して
います。
平成 27 年に開催された第 1 回本町まつり「再発見!ザ本町」では江戸時代から高度経済成長期頃まで
の写真や絵図等の展示を見て、過去の本町の隆盛を懐かしそうに振り返るとともに、今日の沼津市の悲
しい状況を思い起こして呆然と見入っている人の姿を何人も目にしました。
永代橋下の魚市場
撮影:中野勇雄氏
市制 30 周年 自転車宣伝隊 撮影:中野勇雄氏
○地域を取り巻く環境の変化
地域経済の隆盛は、時代の変化に大きく左右されます。沼津市の隆盛が高度経済成長期辺りから徐々
に衰退し始めた原因は、細かく見ればいろいろなことが考えられますが、マクロ的に捉えれば次のよう
なことが言えると思います。
1.国の政策~主に国の財政問題に起因して一極集中的に国が地方を支えるという構図が崩れたこと。
この頃から「地方の時代」「自立する地方」とかが言われるようになりました。
2.グローバリゼーションの進展~国と国の境界が希薄化(ボーダーレス)する中で経済活動がグロー
バルに拡大し、産業の国際競争が激化、低コストの生産現場を求めて国内産業の空洞化が進み、更に
輸出産業は輸入国との摩擦を避けるため現地化を促進し、工場等の国外流出に拍車がかかりました。
3.情報技術(IT)の進展と普及~インターネットにより世界中の情報交流がリアルタイムで可能と
なりました。それに伴い、インターネットを利用した商業活動(ネット通販)は拡大の一途を辿って
います。例えば、筆者が趣味としているクラシック音楽の場合、CDの購入は世界各地の製作現場(本
場モノ)から直接購入することが可能。また購入者は販売価格を世界規模で比較し購入することがで
き、一方では一般入手が困難なお宝ソフトを発掘して購入することもできます。因みに、筆者が最近
ドイツのベルリンに発注した CD は国内で購入するよりも 3 割以上安く、発注してから普通便で 8 日
目に届きました。
4.ハイモビリティ社会の進展~移動手段の高速化はインターネット通販の拡大を相乗的に押し広げま
した。ネットで発注したものが国内では翌日に届くことがほとんどです。生産面でも移動リスクが減
った分、立地の自由度が高まりました。人の移動では活動範囲が拡大し、都市圏域の概念に変化をも
たらしました。例えば、筆者は音楽の大ファンですが 50 年前には静岡市で生の音楽を聴き、沼津に市
民文化センターができてからは地元で音楽を聴いていました。しかし地元では満足できる催しが皆無
となったことにもよりますが、より良質な催しを求めて東京へ月に数回生の音楽を聴きに通っていま
す。また、そのついでに地元では品揃えが乏しいので東京で買い物も済ませますし、食事も豊富なメ
ニューから選べ、上京するのが待ち遠しいくらいです。私の知人は映画も東京へ見に行くそうです。
更に特記しなければならないことは経済圏の拡大が飛躍的に進んだこと、そして都市間の連携もフレ
キシブルに拡大し田舎と大都市が連携して住民の多様な要求に応えています。これもハイモビリティ
化が進んだことで実現が容易になった結果でしょう。
5.周辺自治体の都市化~日常生活(ケ)の維持に必要な物資やサービスは殆んどの自治体で自己完結
できるようになりました。沼津の周辺自治体は昔のようにわざわざ沼津にまで赴かなくても不自由さ
はありません。非日常的なハレの生活場面でも大きく変化し、先に述べたようなことから沼津の存在
は極度に影が薄くなっています。県東部の自治体住民にとっては東京や静岡市が私たちの生活欲求を
満たす日常的な都市圏域となっていると言えます。そう言えば沼津にデパートが無くなったのと期を
一にするかのように静岡市のデパートのチラシが新聞折込に入るようになりました。また、三島市商
店のチラシや富士市ロゼセアターの催し案内もよく見かけます。しかし沼津市民文化センターの催し
案内は殆んど見かけません。もはや沼津は県東部の中心都市とは言えないのが実態でしょう。
6.人口減少社会と高齢化~沼津は特に著しい。人口が減少しているのは全国的な傾向だから仕方ない
と諦めるのは大きな誤りです。人口を増やす政策、小手先の安易な方法でなく持続可能な方法を模索
すべきです(後述)
これらのマクロ的要因のほかに特に問題としなくてはいけないのは、沼津の産業構成、とりわけ本町
を中心とした中心市街地は伝統的に商業やサービス業等生活密着型の産業が殆んどです。これらは人々
と直接相対する産業ですから、人口が減少し、集客力が無くなればその影響をダイレクトに被ることに
なります。
これまで述べた地域を取り巻く環境の変化が進化拡大するとともに沼津の衰退が顕著になっていった
ことに注目しなければなりません。
時代の変化に対応して都市の構造を変えていかなければならないのに、何ら対策を打ち出すことがで
きず、ボンクラに時間を浪費してきたことが今日の衰退を招いた最大の原因と言えるでしょう。
こうした環境の激変下にあっては、個店や個別商店街等の努力では限界があります。無駄な努力とい
っては言い過ぎですが、殆んどは販売促進や一過性の集客、或いは営業時間の延長など目先の利便性を
目的にしたものに過ぎないからです。
持続可能な都市の発展を目指すには長期的視点に立ち、時代の変化に対応した都市の構造の原点にま
で立ち返った検証が必要です。そのため行政の果たす役割は格段に大きく、とりわけ市長の見識がその
まちの行く末を左右することになるのです。
これまでの沼津市の政策をみると旧態依然たるハードの整備や安易なイベントなど小手先の手段に終
始するばかりで目先の効果さえ怪しいものが殆んどです。問題意識が欠如し対策を講じることのできな
い市長は今日の衰退を招いた張本人と言えるでしょう。食べていくことさえも難しくなった事業者(経
営者)に対してどのような責任が取れるのでしょうか。事業者に対して経営責任と断定してしまうのに
は根が深すぎます。それほど沼津を取り巻く環境の変化は構造的で深刻なのです。市政を監視できる立
場にいる市議会も責任の一端があると言わざるを得ません。しかしながら市長や議員を選んだのは私た
ち市民ということを考えると複雑な思いに駆られてしまいます。
○都市の問題
都市は言うまでもなく人々が生活を営む場です。そのため、安心・安全、利便性、文化、教育、福祉、
健康・医療、潤いとやすらぎ、産業、環境、インフラ、コミュニティなどが過不足なく充足されていな
くてはなりません。当たり前の話ですが、それらは人々が生活を営むという前提の下に整備されている
ものです。人々が生活を営むということは様々な職種や様々な階層の人々が同じ都市空間の中でいろい
ろな形で競争と共存或いは共助を繰り返していくということです。
自然界においても様々な生物が同じ空間の中で棲み分けながら、必要に応じて競争と共存・共助を繰
り返すことによって生命が維持されています。競争と共存・共助を繰り返すことができるのは多様性が
あるからにほかなりません。多様性における種が多ければ多いほど、その空間の生命を維持する力が大
きいのです。生命維持の原則から言えば、生命はエントロピーの法則による秩序の崩壊から免れるため
他の生命を取り込む必要があるからです。人間で言えば牛や豚、魚などの生物、米や野菜などの植物な
どを取り込むことによって新陳代謝を促し、生命体としての秩序を維持しているのです。最近では細菌
でさえも腸内フローラなど生命維持に欠かせない存在であることが話題になっています。
都市においても同様に、都市という一つの空間に多様性があってこそ、競争と共存・共助が繰り返さ
れ、都市の活力となります。
都市における多様性を生み出す要因は様々ですが、多様性は端的に言えば人々の交流・触れ合いと相
互作用の関係にあると言えます。都市の活力を生み出す基本として、まずもって交流・触れ合いに着目
する必要があるでしょう。
交流や触れ合いを生み出す仕掛けは、都市施設などのハード面からみれば、例えば多層階の建物より
はフラットなワンフロアの建物の方が人々が触れ合うチャンスは多いでしょう。同じように、車がビュ
ンビュン行き交う真っ直ぐな大通りよりは曲がり角のある小道の方が人の触れ合いが多いということは
容易に察しがつきます。井戸端会議は直線的な大通りでは見かけませんし、子供たちの遊び声も聞こえ
ません。
都市の施設で言えば、典型的なのはフランス、パリのモンマルトルにあった「ル・シャ・ノワール(黒
猫)」というカフェがピカソやフジタ、サティ、ヴェルレーヌといった分野も国籍も異なる若い芸術家た
ちのタマリ場となって交流が重ねられ、そこから革新的な芸術が生み出されていったことはよく知られ
た話です。
日本でも江戸時代から明治時代に掛けての商店をみると土間がありその奥に畳をひいた床があってそ
こで客と番頭が世間話をしながら商品の売買をしている光景が映画や芝居などでよく見られます。商店
が触れ合いを生み、情報交流の場でもあったわけです。残念ながら今日の商業環境はコンビニやスーパ
ーなどをみれば分かるようにこうした触れ合いが排除され単なる商品の売り買いだけに特化されてしま
っています。現在でも触れ合いの場となっているのは床屋さんくらいでしょうか。これもチェーン店が
できて貴重な機能を失いつつありますが・・・。まちづくりにおいても合理性や利便性、経済性が優先
され人の触れ合いはあまり考慮されていないのが実情です。
商店が単なる物資交換の場であるならネット販売の方がよほど便利です。世界的規模で価格を見比べ
ることができ、短期間で居ながらにして配送されますからわざわざ商店に出向く必要はありません。人々
の繋がりを考慮していないまちづくりがまかり通っている今日、都市わけても商店街が活力を失ってい
く要因の一つとも考えられます。都市の本来的機能の一つである人々の交流を促す場としての役割を顧
みていないからです。
一方、人の触れ合いを生み出す仕掛けをソフト面から考えることも重要です。多様性と交流・触れ合
いは相互作用の関係にあると述べたのは先のとおりですが、交流・触れ合いを生み出す仕掛けは数限り
なくあります。昔から続いている様々な伝統行事やお祭などもそうです。しかしこれらも形骸化しつつ
あり本来の役割は希薄になっています。それをまちづくりに有効となるように取り戻していくのは、そ
こに住む人々の心がけ次第ということができます。
○都市と産業
住む人がその場所に永続的に住むためにはまずもって収入を得る手段を持つことが絶対条件です。収
入を得る手段の多くは産業の振興に負っています。
沼津でこんな話を時々耳にします。ある母子家庭で一人息子の就職先に沼津近傍を希望していたが、
近くには相応しい就職先がない。そのため、泣く泣く遠方に行かざるを得ず、年老いた親が一人暮らし
を余儀なくされたと・・・。
若い人は希望を抱いて社会に出るわけですから少しでも有望な就職先を探しますが、沼津ではその希
望が叶えられるチャンスは本当に僅かです。食べていく手段が無ければどんなに福祉が充実していても、
どんなにサービスが行き届いていても、定住人口を増やすことはできません。結果的に若い人の流出に
つながってしまいます。若い人が流出するということは多様性の面からも問題が大きいです。様々な職
種があってこそ様々な階層の人々が定住し多様性が形成されるのです。産業政策が如何に重要な意味を
持っているか改めて認識する必要があるわけです。
繰り返しになりますが、都市を持続的に発展させ、人口
を増やす最も効果的な手段は産業を活性化させることに
つきます。人口減少化に危機感を抱くのは良いとしても、
まちをきれいにするとかコンセプトの希薄な施設を建築
(ex.沼津駅周辺等)するとか子供の医療費を無料にす
るとか等々、一概に悪いとは言いませんが、子供でも思
いつくような小手先の手段或いは昔ながらの箱もの依存
の手法がとられている傾向が強いと言えないでしょうか。
安易な手段に頼っても直ぐに陳腐化してしまいます。都
市は都市同士で競争しているのです。他の都市が簡単に
後追いできるような手段では徒労な競争を招くだけです。検証も疎かにして安易に実施すればその副作用
に悩まされることもあります。確実で持続可能な定住人口を増やすのはその土地らしさを生かした産業政
策を打ち立てることこそが重要なのです。
安易な産業政策と言えば、観光は落とし穴にはまる危険性が非常に高い分野です。殆んどの場合、観光
には観光素材があるわけですが、観光素材はもともと観光のためにあるわけではないのです。それ自体が
独自の役割を果たしているわけで、それを無視してピカピカに金モールで着飾ったり、人寄せのためにや
たらと知名度を高めたりするのは素材そのものを劣化させることになりかねません。観光は有力な産業に
は違いありませんが、扱いを間違えると地域の崩壊を招くこともあり得ます。一例ですが、農業が中心の
風光明媚なある小さな島が本土との間に橋を掛けることによって多くの人を呼び寄せることに成功しま
した。しかしその結果、畑は荒らされ、作物を守るために金網を張り巡らし、住民は疑心暗鬼になって良
好だったコミュニティが危機的状態になったという話を聞いたことがあります。観光を振興させるために
は手順をしっかりと見据えた上で振興策を打ち立てることが重要です。
○産業政策
産業政策についてはいくつかの方法が考えられます。
その第 1 は最も安易な方法ですが企業誘致があります。しかし現実的にはグローバリゼーションが進
展する中で、国際的な視野に立った企業誘致を模索する必要があり、容易ではありません。実現したと
しても地域とどれだけ密接な関係を築くことができるかも未知数です。そのため企業誘致に絞り込むの
は必ずしも適切とは言えません。
第 2 の方法は、既存の地元中小企業等をネットワーク化或いはオーガナイズし、水平ネットワーク型
の産業構造を形成することです。我が国の中小企業は大企業を頂点とした垂直統合型のピラミッドを形
成してきましたが、グローバリゼーションの進展で国際競争に晒され、更に為替の影響も含め、多くの
中小企業が苦境に立たされているという報道を耳にします。下請けの仕事が安価な労働力を武器とする
新興国企業との競争に晒されているためです。垂直統合型の産業構造から脱皮し、インテグレートな機
能を持ったコア(中核施設)を中心に据えた水平ネットワーク型の産業構造を構築することが産業政策
を策定する上で重要なことです。中小企業同士が得意分野を持ち寄って世界的需要に見合った先端的で
オリジナリティに溢れた産業モデルを創出することが可能だからです。またそのことによって中小企業
そのものがハイテク化を推し進めることにもなるからです。
しかしこれを実現するためには何と言っても行政のリーダーシップが不可欠です。つまりグランドデ
ザインにもとづく産業政策が打ち立てられなくてはならないということです。この分野で私たち一般市
民ができることは非常に少ないのです。沼津市の過去数十年のボンクラとしか言いようのない痴呆行政
を見る限り、実現は遠くの彼方と思わざるを得ないのが現実です。
3 つ目の方法ですが、今日的な先端産業の特色をみると知識集約型の創造的産業が世界的な競争力を発
揮していることは一目瞭然です。アップルのアイフォンやアイパッドなどはその典型でしょう。アップ
ルは企画、リサーチ、商品開発、経営戦略やマーケティング戦略が主で工場を持たない典型的なファブ
レス企業として急成長を遂げました。大切なのは創造力・企画力でありそれを支えるのは紛れもなく人
の頭脳活動です。アップルは頭脳集団の企業と言ってもよいのでしょう。
知識集約型の創造的産業は人の頭脳が生み出すわけですが、頭脳を活性化させるためには環境が重要
です。その環境とは良好な自然、温かい人と人の触れ合い、それに加えて文化・芸術です。
こうした環境の中で頭脳活動を活発化させ、成果を生んでいる例があるということを最近、耳にしま
した。東京のIT産業が徳島県や島根県の田舎に空き農家を借り、そこをサテライトオフィスに見立て
て業務を行っているそうです。過疎に悩んでいた自治体にとっては過疎を脱し、若い人の定住を促進す
ることに成功したことになります。企業にとっても業務の傍ら作物を育てたり地元の人との交流など快
適な環境を確保することで創造力が発揮され、成果を生んでいるとのことです。多様でフレキシブルな
就業形態は現代社会に相応しいし、若い人の価値観にも合致した新しいワークスタイルと言えるでしょ
う。東京の本社とはサテライトオフィスとしてインターネットにより随時情報交換しているため、遠距
離による支障は、都心で満員電車の通勤地獄に晒されての就業環境を考えれば遥かに少ないと考えられ
ます。
しかし、そうは言っても移動時間とそれに要するコストのことを考えれば首都圏に近いに越したこと
はありません。沼津は富士箱根伊豆国立公園に隣接し、風光明媚な景観と60㎞の美しい海岸線や狩野川、
愛鷹山・香貫山等他都市に勝る良好な自然環境に恵まれています。海の幸・山の幸も豊富で、明治期に
は御用邸が造営されたほどです。文化政策は恥ずかしいほど貧弱ですが、東京に近いので文化的欲求も
ある程度満たすことができます。その意味では沼津は企業立地の上でとてつもなく有利な条件を備えて
いると言えないでしょうか。
これらのことは、次に述べる第4第 5 の方法にも言えることです。
第 4 の方法は起業(entrepreneur)を促進する場としての可能性です。
起業は創業者が起業保育器と言われるインキュベートセンターで一人前の企業として飛び立つまでの準
備期間を過ごすことが一般的ですが、知識集約型の産業を目指す起業家にとっては狭いコンクリート空
間に閉じこもっていたのでは明晰な頭脳活動を駆使することができません。大切なのはやはり良好な自
然環境と温かい人の触れ合いなのです。そうした環境を有するのは大抵、歴史のあるまちであり、目的
意識的にまちを整備すれば、まちそのものがインキュベート機能を有するということができるわけです。
こうした検討を重ねていく中で、課題として浮かび上がるのは、例えばファンドの確保、情報の受発
信や交流の拠点(=インテグレート機能、コングレスセンターor コンベンションセンター等)、経営コン
サル、キュレーターの育成、産業のアーカイブ(archive)を司る産業情報センター等ですが、それに加
え誘発するための家賃補助などの支援策があればより好ましいわけです。勿論、福祉や文化・教育とい
った都市の基本的な条件もクリアされていなくてはなりません。グランドデザインはそのために必要不
可欠なものです。
更に第 5 の方法としては、そこに住む人自身がイノベーション(innovation)を図り、新しい産業を興す
ことです。実はこれが地域に密着した持続可能な都市の発展に最も貢献すると思われるのですが誤解や
危険も孕んでいます。カオスのような状態から産業を興すのですから単なる個人の思いつきで終わって
しまう可能性があるからです。そうならないために地域のリサーチやアイデンティティの検証、それに
社会のトレンドをしっかりと把握して綿密な産業戦略を立てる必要があります。
古い情報で恐縮ですがドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)の裾野にフライブルクという人口 23 万
人の都市があります。この都市は環境に対する意識の高さからいち早く「環境首都」宣言をし、環境を
キーワードにしたまちづくりを推し進めています。それは市民に対する環境教育、学校教育、都市施設
や建築物の在り方、商店街の在り方、交通政策、廃棄物対策、各種イベント等々多方面に及ぶ様々な環
境関連の施策を進めています。その中で起業に結びついたものとして、この地にあるサッカー競技場や
野外音楽場で使われるコップに再利用可能なポリプロピレン製のコップを導入して、リユース食器のリ
ースと洗浄を行う会社を立ち上げたことです。ペットボトル等のデポジット制との相乗効果でごみの減
量に成功したことから、数年後にはドイツ各地のイベント会場で使われるようになり、この会社は急成
長したそうです。その他にも建物やスタジアムの屋根に大規模な太陽光発電を設置してその所有権を市
民に分譲し、作られた電力は市営企業に売られ、その売電料は分譲を受けた市民に分配する仕組みを作
りました。その結果、収益をもたらすとともに市民の環境政策への参加を促すことができたそうです。
いずれにしても地域が自ら産業を興していくには既存の産業が手を付けていない分野に目を向けてみ
る必要があります。そのためには地域の歴史や自然、都市の構造、産業分布など様々な分野でのエリア
スタディが不可欠です。それに社会のトレンドを踏まえたテーマを設定していくことが必要でしょう。
差し詰め、トレンドの面からだけで言えば、健康、福祉、高齢社会、環境、サービス等がキーワードに
なりそうです。地域のアイデンティティと照らし合わせ、市民の英知を絞った産業戦略を練る必要があ
ります。
繰り返しになりますが、以上のことを実現していくための第一歩としてエリアスタディは欠かすこと
のできない作業です。この面では行政が持っている情報は市民の力では到底得ることのできない豊富な
情報が蓄積されています。その情報を市の様々なセクションが自由かつ横断的に利用でき、市民や産業
に携わる人たちも自由に利用できることが望ましいわけです。そしてそれを生きた情報として生かすた
めには必要に応じたデータの処理技術と戦略的な情報発信が必要です。そのため理想的には情報のイン
テグレート機能を持った地域(産業)情報センターの設置が望まれるわけです。図書館にもアーカイブとし
ての機能はありますが、生きた情報として活用できるような状態ではありません。形式的に保存されて
いるだけで多くは縦割り行政の中で死蔵されているのが実態でしょう。
このように様々な方面から沼津の復活を検討してくると、どうしてもネックとなるのは行政です。こ
れまでいろいろと述べてきたことも産業振興のコンセプトが市長になければ単なる掛け声で終わってし
まいます。コンセプトはグランドデザインによって裏打ちされ、一方でグランドデザインが産業政策の
策定に結びつき具体的な行動のガイドラインとなっていきます。市長に明確なグランドデザインがあり
それに基づくリーダーシップがあるかどうかによって沼津の地域振興が決まるのです。
○私たちにできること
20 年ほど前、筆者が地中海沿岸のフランス・リビエラ地方を訪れたとき、カンヌとニースの間の内陸
部にあるソフィアアンティポリスのことが忘れられません。ここは平たく言えばスタートアップ企業や
先端産業からスピンオフした起業家が集積する工業団地ですが、コンセプトを持って人工的に作られた
都市(ポリス)とも言えます。張り付いている企業は多種多様ですが考え方の中核にあるのはクロス・
ファーティライゼーションであると事務方から説明されたことは鮮烈な印象でした。クロス・ファーテ
ィライゼーションというのは異種交配といった意味ですが、多様な業種が様々な交配・交流を通じてイ
ノベーションを図り、起業を促進していくということだと思います。そのための仕掛けは、スポーツイ
ベントから技術交流、ディベート、コンヴェンション(コンファレンス)、各種イベントプログラム等が企
画され実に様々でした。
そうした設立の理念とは別に特質すべきことは、リビエラ地方という世界でも有数のリゾート地に設け
られているということです。リビエラ地方はニースやカンヌ、エズ、モンテカルロ、サンレモ、ジェノヴ
ァといったリゾートで世界的に名高い都市が連なるわけですが、このリビエラ地方に、研究開発を中心と
した最先端の研究所や産業が散在しているといいます。ソフィアアンティポリスはその中の有力な先端産
業の集積地です。聞くところによるとこの地域の人口が著しく増加し、所得水準も群を抜いて高いそうで
す。
ニ
ー
ス
の
海
岸
撮
影
:
筆
者
当時、フランスやドイツを見て回っての感想ですが産業のフロントランナーを維持発展させるために、
日本では現場任せの傾向に対して欧米では長期的展望に立った都市ぐるみの産業戦略に基づいていると
いう印象を受けました。
しかしながら、筆者が見たところ沼津は自然環境、気候、文化、インフラ、立地等欧米の先進都市に
決して引けを取らないと思っています。足りないのはグランドデザインに基づく産業戦略です。
話が逸れてしまいましたが、以上いろいろと検討してきましたが、様々な情報と照らし合わせながら
私たち地元住民ができることは何かを考えてみましょう。
温暖な気候と良好な自然環境を有する沼津にあって、もう一方での都市としての優位性を発揮させる
ために人の交流・触れ合いに着目してみました。人の交流・触れ合いが多様性を生み、その多様性が更
に人の交流・触れ合いを生むという循環を生み出そうというわけです。
人の交流・触れ合いが人の住むのに相応しい温かい環境が形成され、それに伴って交流から生み出さ
れるイノベーションが期待できるなど都市としての基礎的条件を充実させることが活力を生み出す源に
なるでしょう。
そのため各地域が年間を通じてその仕掛けを考え、試行してみることが必要でしょう。
そして、もう一つはエリアスタディです。地域の歴史や自然或いは資源、産業の分布などあらゆる分
野に亘って地域の実態をリサーチする必要があります。それらは先ほど述べたように多くの資料は市に
保管されています。それらを活用する中でフィールドリサーチや意識調査などを重ね、持続可能な産業
振興の方向性を検討していくことが肝要です。
こうした試みは地域の振興にとっては極めて些細なことですが、まちづくりの原点ともいえる重要な
ことでもあります。まちの基礎的条件を充実させることを沼津の復活の端緒とし、新しい時代に即した
まちの発展を目指す中で、行政を巻き込んでいくことが次の行動目標になるでしょう。
行政がリーダーシップを発揮し、事業推進のためのプロジェクトチームを立ち上げることになれば、
知識集約型産業のサテライトオフィスの進出、或いは起業を志す人々の誘致に成功すれば沼津の復活そ
して持続可能な発展に結びついていくことが可能でしょう。幸か不幸か中心市街地には空き店舗や空き
事務所がいくつかあるのでこれらが頭脳活動の作業現場として活用されれば産業集積の立地となること
も夢ではありません。更に地元中小企業をネットワーク化或いはオーガナイズしてイノベーションを図
るか、或いは自ら内発的に新しい産業を生み出すなどいろいろな選択肢があります。これらすべてを目
標に掲げてもよいでしょう。最終的にはしかるべき人・機関によるグランドデザインに基づいたリーダ
ーシップが発揮されるかどうかです。沼津のこれ以上の衰退は復活の可能性さえも喪失してしまいます。
さしあたってまず市民としてできることは何かを危機感をもって考えなくてはなりません。
自動車産業の衰退でひととき財政破綻に陥ったデトロイト市がIT産業が張り付いたことで息を吹き
返した例もあります。世界の需要を見越した先端産業の集積こそ新しい時代のまちの活力です。勿論、
そこには商業やサービス業など生活に密着した産業も並行して発展していくことになります。ホリステ
ィックな中に多様性があってこそまちなのです。
平成 28 年 4 月
*インテグレート=まとめる、集約する、統合する、結びつける *エリアスタディ=地域研究、地域学習
*ホリスティック=全体的、包括的 *インキュベート=孵化する、培養する、企てる
*キュレーター=情報を収集・整理し他のユーザーに共有する行為や行為者、学芸員
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