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JSET冬合宿「身体というメディア、学習装置としての舞台
- 2. Day 2
■9:00 – 09:10 Introduction(中原淳)
グループ分け
■9:10 – 10:40 Parallel Session
藤倉さん 1-6月B1
高尾さん 7−12月2F
■10:40-11:20 Coffee Break & Learning Tour 7F
■11:20–12:50
Parallel Session
藤倉さん 7-12月B1
高尾さん 1−6月2F
■12:50 – 13:30
Onigiri Lunch@B1F
■13:30 – 14:20 Open Discustion 2F
学び・教育にどう活かすか?
■14:20 – 14:30 Reflection Movie
- 4. 敢えて言語化するなら、インプロとマイム
1.仲良くなる・序列の一時的解除
・身体という誰もがもっていて
しかも、コントロールしにくいメディア
・「擬似的民主制」に近づく場をつくりだす
2.体験に埋め込みメッセージを伝える
・イルカの調教
偶発的行動と即時強化
まずは動く、支援が提供される
提供された支援のあり方
新人研修や教えて側の研修
3.アクセシビリティの高さ
・心理的安全を確保すれば、誰にでもアクセスできる
・言葉に依存しないアクティビティ
・ファシリテーションの妙
様々な可能性をぜひ皆さん自身で
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考えてみて下さい!
- 6. 舞台と学習
●舞台とはそもそも何か?
2つの舞台のとらえ方
1.「日常の舞台化」
・日常生活の中で流れゆくものを「舞台」として
切り取りスポットライトをあてる
=出来事として意識されてないものにスポットをあてる
2.「非日常としての舞台」
・日常との「段差」をつくった非日常的空間
重要な要素
・宛先性のあるパフォーマンス
・オーディエンス
・段差による共同注意(Joint Attention)の喚起
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- 7. 舞台と学習
●他者によって構築された舞台
・「成りたい自己」を誰かに演じきる(Pefromすること)
・リアルライフとの「段差」とコンフリクト
パウロフレイレ「意識化」
・「演じられた他者」の内包とアイデンティティ変容
●某社長と有名板長の言葉
・「演じた先にあるものにしか、人はなれません」
●パワフルなアイデアだが・・・
・広くあまねく、Equalityを保証しなければ
ならないような「教育現場の導入」では・・・
・腹をくくる覚悟も必要
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- 8. 舞台と学習
●腹をくくる覚悟
・舞台の「段差」・・非日常的空間として
権威付ければづけるほど、差分は高くなる
1.どう「舞台」にのせるのか?
「恐怖」をとりのぞくか?
2.日常生活とのギャップ(≒跳躍の可能性)
どのように日常生活と連続させるか?
3.つまづきのショック
どの程度セーフティネットをはるか?
4.Equalityを保証しないこと
当然、結果の平等は保証しえない
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- 12. リフレクションビデオ
橋本諭先生、産業能率大学の方々の作成
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- 13. ワークの記録を自宅で
ひとりで見てください。
Youtube:nakaharalab
http://www.youtube.com/user/nakaharalab
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