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2022.09.24	土曜会	じょいとも
演劇と
しての


VTuber
演劇と
しての
VTuber
はじめに
2010年代のメディア環境の変化は極めて
大きなものであった。


同時に、地下アイドル、YouTuber、
TRPG、脱出ゲームなど、多様かつ新たな
演劇的コンテンツが登場した。
はじめに
これらに対する演劇の立場からの分析は

まだ多くない。


そこで本論では、過去の演劇理論を

参考にすることで、これらの事象に

ついて考える足掛かりを見つける。
20世紀の演劇はどうだったか
20世紀の演劇はどうだったか
20世紀の演劇の一つの大きな潮流に


リアリズム演劇がある。


その嚆矢であるスタニスラフスキーの


演劇論を振り返ってみよう。
20世紀の演劇はどうだったか
コンスタンチン・

スタニスラフスキー


1863-1938


俳優、演出家
20世紀の演劇はどうだったか
スタニスラフスキー・
システムを考案し、


近代演劇の基礎を


打ち立てた。


スタニスラフスキー・
システムとは次の

ようなものである。
20世紀の演劇はどうだったか
「いちばんいいのは、俳優の全存在が戯曲のとりこになっ
たときだ。そのとき俳優は意志を離れて、役の生活を生き
ることになる。俳優は自分がどう感じているかも気にせず、
何をしているかも考えない。あらゆることがひとりでに、無
意識的に出てくる。」


スタニスラフスキー「俳優の仕事	第一部」
20世紀の演劇はどうだったか
「役を生きることによって俳優は舞台芸術の本来の目的、
つまり役における<人間の精神生活>を作り出し、芸術的
な形式のもとにそれを舞台の上で伝えることができるよう
になる。」


スタニスラフスキー「俳優の仕事	第一部」
20世紀の演劇はどうだったか
スタニスラフスキーは


従来の形式を重視する


演劇から、


あたかも俳優が役の


人生を生きているかの


ようなリアルな演技を


目指した。
20世紀の演劇はどうだったか
「<もしも>から始めよう。


まず第一にこの言葉のすばらしさはあらゆる創造を発動さ
せるという点にある。<もしも>は俳優にとっての推進力、現
実から唯一創造が成就する世界へとわれわれを導く推進
力の役割をはたすのだ。」


スタニスラフスキー「俳優の仕事	第一部」
20世紀の演劇はどうだったか
スタニスラフスキー


(モスクワ芸術座)
メイエルホリド
ステラ・アドラー


リー・ストラスバーグ


サンフォード・マイズナー


(グループシアター)
エイゼンシュテイン
M・チェーホフ


(A・チェーホフの甥)
グレゴリー・ペック、アル・パチーノ、アンソニー・ホプキンス、


ジャック・ニコルソン、スティーブ・マクイーン、


ロビン・ウィリアムズ、マーロン・ブランドほか
スタニスラフスキーの影響は演劇にとどまらず、


戦後の映画やテレビドラマの演技法の基礎となった
(師匠 弟子)
20世紀の演劇はどうだったか
スタニスラフスキーの演技論は


<もしも><あたかも>をキーワードに、


俳優が役に感情移入することで


リアリティを生み出した。


しかしその手法は、ヒトラーの演説や


プロパガンダ映画などにも利用された。


それに抵抗したのがブレヒトである。
20世紀の演劇はどうだったか
ベルトルト・ブレヒト


1898-1956


劇作家、詩人
20世紀の演劇はどうだったか
ブレヒトは


観客と俳優が感情移入
することなく、


批判意識を呼び起こす


「叙事的演劇」を


行った。
20世紀の演劇はどうだったか
ブレヒトと時を前後して


アルトーやベケットが登場し、


戦後の現代演劇を形作った。


ここから2010年代の演劇を

考える手がかりとして、


リチャード・シェクナーを紹介する。
シェクナーの演劇論
シェクナーの演劇論
リチャード・

シェクナー


1934-


演出家、編集者
シェクナーの演劇論
シェクナーは西洋の

演劇にとどまらず、


インド、東南アジア、
日本の芝居や祭祀、


テーマパークなどの


分析を行った。


例えば次のような

ものである。
シェクナーの演劇論
「ルネッサンスの楽しい妖精たちや、どこの州にもある復元村、
ディズニーランドとディズニーワールド、(中略)など、実にさま
ざまなテーマパークが存在する。(中略)こうしたテーマパーク
は巨大な環境演劇の劇場である。テーマパークは商品、サー
ビス、イデオロギーが展示され、演じられ、交換される巡礼地で
あり、ニューギニアのカイコー、アメリカ先住民のパウ・ウァウ、イ
ンドのクンブメーラーなどの集会と似てなくもない。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
ここでシェクナーは


テーマパークに


演劇性を見出し、


それを未開世界の


祭祀や集会との


近似性を指摘する。
シェクナーの演劇論
「ここではテーマパークの一形態である復元村に絞って
論を進めることにする。1978年にはアメリカとカナダには
すでに60以上の復元された「村」があり、毎年何百万人も
の観光客を集めていた。この数は増大の傾向にあるよう
だ。(中略)こうした「村」が博物館と異なるのは、復元の規
模の大きさと従業員の接客態度の違いである。例えばマ
サチューセッツ州のプリマス・プランテーションでは、」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
「各家庭では、1627年にそこに住んでいたはずの家族が入場
客を迎え入れ、「いかがでござる」などと古めかしい英語で話し
かける。しばらくすると客自身、何分か前までは奇妙だと思って
いた言い方で、「元気でござる、かたじけない」などと答えている
のに気づく。客の少女が「いずこから参られた」と尋ねられて、
「ニュージャージーです」などと返事をしようものなら、「さような
場所は知らん」と言われてしまう。そこで親が口を挟む。「スー
ジー、ニュージャージーはまだ州になってなかったのよ」」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
ここでシェクナーは、


テーマパークの中で


観客自身が変容

していく姿を見出す。


ここにはどんな理論が


ありうるか。
シェクナーの演劇論
時間/空間A:復元村を取り囲む現代のアメリカ
入場者と従業員の状態を以上のように示す。


入場者は二重の境界のなかにおり、


その二重性のなかで「演技」をする。
時間/空間B:復元村
入場者はBを通りながらAの意識を保つ。


職人/パフォーマーは劇場にいる俳優が


役を「演じる」のと同じ要領で「演技」する。
シェクナー「パフォーマンス研究」行動の再現	図3より
シェクナーの演劇論
ところで、


テーマパーク自体が


必ずしも作りもの


ばかりとは言えない。


例を挙げる。
シェクナーの演劇論
「アメリカの復元村についていえば、適切な訓練さえ受け
れば17世紀のヤンキー訛を話して、工芸の実演を見せる
のはそれほど難しいことではない。一日の仕事が終わる
と、職人とパフォーマーたちは衣装を脱ぎ、道具を片づけ
て家路に着く。入場者たちはパフォーマーが演技をやめ
るところを実際に目にするわけではないが、やめるのが当
然だと考えている。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
「ものごとを一層こんがらかせる場合がある。村に住みつ
いて工芸で生活をまかない、観光客の前で調理した料理
を食べて暮らすパフォーマーが現われはじめたのだ。こ
のようなパフォーマーたちの「実生活」は「演技された生
活」と網の目のように縫い合わされて、実生活から演技へ
のフィードバックが頻繁におこなわれるようになる。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
このような空間の中で


観客はどのような


状態に晒されるのか。
シェクナーの演劇論
「本章で取り上げたパフォーマンスはどれも、直接法では
なく仮定法に属している。そして観客も、外から内側を覗
くのではなく、実際にアクションの内側に入り込み、「あた
かも」私が行動の再現と呼ぶ交渉された空間=時間=イ
ヴェントの中に存在するかのように振る舞うことで、仮定法
の世界に入ることができる。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
仮定法<あたかも>とい
うのはスタニスラフス
キーの演劇論である。


復元村では舞台上の

俳優だけでなく、


観客自身が<あたかも>


そこに生きているかの


ように振る舞うことを


要求される。
シェクナーの演劇論
「昔ながらの劇場では観客の領域は劇の領域より広いし、両者
は完全に分離されている。(中略)しかし復元村や環境演劇で
は、演技の領域は観客を取り囲み、包含する。見ることは困難
になり、内部に存在することのほうが容易になる。客席を奪わ
れた自力で自分が何者で、どこにいるのかを確かめるしかな
い。こうした状況で観客は、一体どんな行動を取って、何をす
べきで、何をすべきでないかという困難な問題に直面する。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
テーマパークにおいて


観客は、内外の時空間の

境界性(リミナル)に


晒される。


そうして観客は、


「私」

「私ではない」


「私でなくはない」


という三つの状態を


行き来することになる。
シェクナーの演劇論
パフォーマーと観客の


変容を以上のように示す。
シェクナー「パフォーマンス研究」行動の再現	図7より
私 私ではない
私ではない 私でなくはない
リミナルな静止の時間/空間
私ではない/私でなくはない


パフォーマンスフィールド
時間
システムの動き
私ではない
私
私ではない/


私でなくはない
シェクナーの演劇論
「観客は信じることと信じないことを同時にしているのだ。
これは演劇の愉楽である。芝居は現実ではないが、また
現実でなくもない。」


シェクナー「パフォーマンス研究」
シェクナーの演劇論
これは


スタニスラフスキーと


ブレヒトの両方の


立場を行き来する


ものである。


その二重性が


重要なのである。
シェクナーの演劇論
シェクナーはこういった演劇性を、


テーマパーク、儀礼、サーカス、詐欺、
スパイといった多様なものに見出した。


そして、これは現代の地下アイドル、
YouTuber、TRPG、脱出ゲームといった


ものにも同様に適応しうるものである。
最後に...VTuber
最後に...VTuber
シェクナーの理論は地下アイドル、
YouTuber、TRPG、脱出ゲームの多くを論
じうる。


しかしさらに複雑なのがVTuberである。


VTuberはこれまで述べたテーマパークと
同様の演劇的要素の多くを備えている
が、全く同じだとも言えない。
最後に...VTuber
まず前提として、


バーチャルYouTuber

およびVTuberは2016年
のキズナアイを嚆矢と
する。
最後に...VTuber
「今まであまり言わないようにしていたんですけど、バー
チャルYouTuber=キズナアイ、という気持ちはいまだにあ
ります。というのも「バーチャルYouTuber」というのは、もと
もとわたしが活動を始めるにあたって名乗った言葉だった
んです。」


ユリイカ2018年7月号	掲載

キズナアイ「シンギュラリティと絆と愛」
最後に...VTuber
まもなくしてバーチャルYouTuberの略語
としてVTuberという言葉が登場する。

また、YouTube以外のプラットフォームを
活動場所とする者を含めてバーチャル

タレント、ライブ配信を主眼とするなら
VLiverという言葉も使われ始める。


ここではそれらの差異を一旦無視して


VTuberと総称する。
最後に...VTuber
VTuberは演じる対象で
あるだけでなく


役者自身のアバターと
しての要素を持つ。
最後に...VTuber
「おそらくそう遠くない未来、現実世界と仮想世界が併存する時
代がやってくることでしょう。その際には、いまで言うTwitterのア
イコンのように一人ひとりが仮想世界のアバターをもつことが当
たり前になるだろうと思います。輝夜月とは、いわばそのような
未来を先取りするかたちで出てきた存在です。ですから私たち
の考えでは、彼女は「キャラクター」ではなく、あくまでもバー
チャルな「個人」ということになります。」


ユリイカ2018年7月号	掲載

AO「輝夜月と仮想世界に!」
最後に...VTuber
演じる対象であると同時に


自身のアバターでもあるということ、


これはシェクナーの


「私ではないが、私でなくもない」状態


を思い起こすものである。


しかし似ているとはいえ、


全く同じだとも言えない。
最後に...VTuber
鑑賞者の空間A
VTuberの状態に従いシェクナーの図を変形してみると、


空間Aと空間Bは重ならず、その境界領域が舞台となる。


VTuberは演劇の役よりもフィクショナルでありながら、


同時に演者自身に近いものでもある。
VTuberの演者の空間A'
フィクショナルなバーチャル空間B
鑑賞者はBとAの両方に身を置く。


VTuberは劇場にいる俳優が


役を「演じる」のと同じ要領で「演技」するが、


それと同時にAの自分自身でもある。
最後に...VTuber
ここで疑問となるのが、


「私ではないが、私でなくもない」とは


いえ、VTuberにおける「私」とは


一体何なのか。
最後に...VTuber
政治哲学者のハンナ・
アーレントは、


人のアイデンティティ
を"what"と"who"に


分けた。
最後に...VTuber
「人びとは活動と言論において、自分がだれであるかを示し、
そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかに
し、こうして人間世界にその姿を現わす。(中略)その人が

「なに」("what")であるか──その人が示したり隠したりできる
その人の特質、天分、能力、欠陥──の暴露とは対照的に、
その人が「何者」("who")であるかというこの暴露は、その人
が語る言葉と行う行為の方にすべて暗示されている。」


アレント「人間の条件」
最後に...VTuber
VTuberにおける


「私ではないが、私でなくもない」は、


「私(何	"what")ではないが、


 私(何者	"who")でなくもない」と


言い換えられないだろうか。
最後に...VTuber
本論ではキズナアイと輝夜月という


半ば古典化した二人を例に上げたが、


その演劇性においては現在のVTuberも


大きく異なるわけではない。
最後に...VTuber
またライブ配信においては、


鑑賞者もバーチャルな空間で


変容を迫られる。


そこで晒されるのは、良くも悪くも


鑑賞者の"who"だとは言えないか。
じょいとも
現代美術のキュレーターです。


作家もやってます。


<主な展示企画>


2019:	ループアニメーションの

   世界


2018:	ループアニメの世界


2016:	バラックアウト


2014:	いつも以上にHappyLife
主な参考図書
• コンスタンチン・スタニスラフスキー

「俳優の仕事	第一部:	俳優教育システム」未来社,	2008年,

岩田貴/堀江新二/浦雅春/安達紀子	訳


• リチャード・シェクナー

「パフォーマンス研究―演劇と文化人類学の出会うところ」

人文書院,	1998年,	高橋雄一郎	訳


• 「ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber」

草土社,	2018年


• ハンナ・アレント「人間の条件(ちくま学芸文庫)」筑摩書房,	
1994年,	志水速雄	訳

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