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東京台東区谷中の細幅織物(リボン)産業関連資料調査
- 1. 東京台東区谷中の細幅織物(リボン)産業関連資料調査
権上かおる1 )
,山崎範子1 )
,真鍋雅信 2 )
,吉田喜一3 )
1)谷中のこ屋根会 2)澁澤倉庫3)東京都立産業技術高等専門学校
Manufacture of narrow woven fabrics(ribbon) related search for material
in Tokyo Yanaka, Taito-ku
Gonjo kaoru,Yamasaki noriko(Yanaka Sawtooth-Roof Heritage Society),
Manabe masanobu(THE SHIBUSAWA WAREHOUSE. CO.,LTD),
Yoshida Kiichi (Tokyo Metropolitan College of Industrial Technology)
1.はじめに
2013(平 25)年 9 月、東京都台東区谷中で北側に窓を持つ 5 連の鋸屋根工場が解体
された。解体時は印刷会社が使っていたが、 1894(明 27)年、または 1910(明 43)
年か ら 、 リボ ン 工場 とし て 紳 士用 の 帽子 や女 性 の ドレ ス にあ しら う 絹 のリ ボ ンを 製 造
して い た 。町 の ラン ドマ ー ク であ っ た鋸 屋根 工 場 の解 体 を惜 しむ 声 に 推さ れ て、 谷 中
のこ 屋 根 会が 結 成さ れ、 建 物 の一 部 を譲 り受 け て 、現 在 は澁 澤倉 庫 の ご厚 意 で保 管 、
地元での活用を模索中である。
工場脇にあった小屋の古い書棚からは、洋書を中心とした 1900 年前後の繊維産業関
係の 文 献 資料 が 多数 発見 さ れ た。 今 回は 、こ の 文 献の 全 体 像 を把 握 す るた め に作 成 し
た文献目録の概要について報告する。
2.谷中リボン工場の経緯
工 場 の あ っ た 台 東 区 谷 中 は
文 京 区 と の 区 境 に 位 置 し 、 昭
和 の 初 め に 暗 渠 と な る ま で 川
が 流 れ て い た 。 川 は 不 忍 池 か
ら こ の あ た り ま で を 藍 染 川 、
少 し 上 流 で 谷 田 川 と 名 を 変 え
る[ 図 1 ]。明治・大正期はリボ
ン工 場 を はじ め 、ネ クタ イ 、 染物 、 うち わ、 人 力 車の 母 衣、 下駄 の 爪 皮な ど の工 場 が
多く見られた。
鋸 屋 根 工 場 跡 地 の 地 主 の 親 族 の 方 が 書 い た 「 創 業 か ら 現 在 ま で の 流 れ 」 に よ れ ば 、
「1894 年(明 27)年 8 月、白木屋の支配人を 10 年勤めた岩橋謹次郎が財界の支援を
図 1 明 治 20 年 の 頃 の 藍 染 川 と リ ボ ン 工 場
- 2. 受け国産リボンを作るべく岩橋リボン製職所を創業。1907(明 40)年に三井財閥が日
本で唯一のリボン工場の将来性に着目し、買収して東京リボン製職所とした。その後、
渡辺 銀 行 の支 援 によ り渡 辺 四 郎が 買 取り 、千 代 田 リボ ン 製職 所と な っ た。 そ の後 、 工
場長の青木道造の仲介で鈴木哲が買い取った」とある。工場は 1966(昭 41)年まで操
業した。
3.渡辺四郎について
発見された文献資料は、 そのほとんどが、年代、蔵
書印などから渡辺四郎[ 写 真 1 ]の収集である。氏は資
産家 の東京 渡辺 銀行 頭 取 、 渡 辺 治 右 衛 門 の 四 男 で あ る 。
今回の調査のなかで、MAR 15 1903 ゴム印の書籍
(仮№71)から、自筆の 履歴書の下書きが発見された
[ 写 真 2 ]。これによると、1880(明 13)年 8 月、東京
市日本橋区本材木町 1 丁目(現中央区日本橋 1 丁目)
生まれである。ここは、 日本の郵便の発祥の地と言わ
れ る 現 日 本 橋 郵 便 局 付 近 で あ ろ
う か 。 当 時 の 東 京 の 中 心 地 で あ
る。
1899(明 32)年に東京府立開
成 尋 常 中 学 校 を 卒 業 し た 。 現 在
の 開 成 中 ・ 高 等 学 校 の 前 身 で 、
こ の 場 所 の 旧 町 名 は 、 日 暮 里 渡
辺 町 と 称 し た 。 渡 辺 治 右 衛 門 が
開 い た 土 地 で あ る 。 そ の 後 、 正
則英語学校(現正則高校)、大成中高
予備 門 (現 大 成 高校 )、順 天 中学 校 ( 現順 天 学 園 )な ど を 経て 、ま た 個人 指 導で 数 学、
英会話を学び、1904(明 37)年 9 月東京高等工業学校機械分科入学、 1907(明 40)
年 7 月に 27 歳で卒業している。
蔵書にあるサインや印の中で、国外住所も 4冊認められた。
1910 年;ロンドン;イギリス 3冊。1910 年 サン テテ ィ エン ヌ; フラ ンス 1 冊。
これらは、織物研究のため 1910(明治 43)年から 1913 年まで紡織機研究のためフ
ランスに滞在し,この間 1910 から 1912 年にかけて欧米諸国の視察を兄弟と共に行って
写 真 1 渡 辺 四 郎
写 真 2 書 籍 か ら 発 見 さ れ た 履 歴 書 の 下 書 き
- 3. いることの物証となるであろう。
晩年は潔癖症を病み、子供達も近づけない状態で、1921(大正 10)年、42 歳で没し
た。
また、交友のあった 岩崎輝弥(三菱の創 始者、岩崎弥太郎の 甥 1887-1921) ととも
に写真家小川一真に依頼して撮影した 鉄道写真‘岩崎・渡辺コレクション’(現在は鉄
道博物館に収蔵・展示) で著名である。
4.文献について
総点数 103 点(書籍以外のもの 2 点
も 含 む ) の 本 文 献 資 料 の 特 徴 は 以 下 で
ある。[ 写 真 3 ]
① 大きく 3 分類できる
a) 渡 辺 が ヨ ー ロ ッ パ に 留 学 中 や 日
本で取り寄せた繊維関係の洋書
b) 渡 辺 が 東 京 高 等 工 業 学 校 で 学 ん
だ際のノート類の製本されたもの
c) 国 内 外 製 と 類 推 さ れ る リ ボ ン の
見本帳[ 写 真 4 ]
② 洋書については、後世で使用された形跡がな
く、保存状態が極めてよい
③ リボンの見本帳の保存状態も良く、当初の色
彩を保っているものも多い
④ 文献の発行年は、1900 年代をピークに、1910
年代と続く。1885 年の Die Bindungslehre
für Gewebe(織 物 の た め の シ リ ー ズ )が も っ
とも古く、1932 年の和書が最も新しい
⑤ 年代の新しい和書は,年代 と鈴木蔵書印から
みて、鈴木蔵書と推定される。なかでも‘最
新機織法’前編(三浦幹太郎( Tokyo 府立織
染学校教諭)昭和 4 年(1929)仮№76)見
返しには、「本書は昭和 20 年 3 月 4 日の爆
撃に因り甚しく汚損の止むなきに至る(鈴
木印)」と記されている
⑥ そ の 他 に 時代 を 感 じ さ せ る も のと し て は、
写 真 3 譲 り 受 け た 蔵 書 の 山
写 真 4 リ ボ ン の 見 本 帳 か ら
- 4. ‘最新機織法’後編(高級組織及紋織法太田七郎(前米澤高等工業学校教授)校閲
三浦幹太郎(Tokyo 府立織染学校教著)昭和 4 年(1929)に「紀元 2600 年奉祝祝
典記念バス壱区乗車券」が挟まれていた
⑦ 繊維関係の文献は、養蚕、製糸、織機 の機械工学、織物のデザインなど、幅広い収
集である
⑧ 洋書の言語は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語 である
⑨ 分野別に見ると機械 関係はドイツ語が多く、紡績撚糸、繊維、織物設計 関係は英語
のみであった
⑩ リボン工場の経営に関する資料は皆無である。 おそらく、途中の時代に処分された
ものと推定される
おわりに
谷中のこ屋根会では、 2014 年 2~3 月「谷中のこ屋根展~藍染川ファクトリーライ
フ」(ギャラリーTEN)[ 図 2 ]および 2014 年 11 月「復活に向けて 谷中のこ屋根展 in
HAGISO」(HAGISO)[ 図 3 ] にて、展覧会を開催した。目的は、譲り受けた鋸屋
根の 骨 組 みの 活 用先 を探 す た めで あ る。 やや も す ると 下 町風 情を 楽 し む観 光 地と み ら
れる こ の 町が 、 明治 以降 、 時 代の 先 端を ゆく ハ イ カラ な リボ ンや ネ ク タイ を 作り 、 働
き暮らした町であった記憶を留めておきたいと願うからである。
その 活 動 の中 で 、 文 献に つ い ても 整 理 し 、活 用 の 道は な い だ ろう か と の思 い が 強く
なっ た 。 しか し 、専 門性 は な く、 文 字の 判読 か ら 苦し み 、量 の多 さ に も格 闘 する こ と
とな っ た 。ま だ 校正 の余 地 は 大き い と考 える が 、 リス ト の公 開と い う 一歩 の 前進 さ せ
№ 書 名 副 書 名 著 者 名 シ リ ー ズ 名 言 語 発 行 年
46
Hundbuch fur Webeschulen
sowie zum Selbstunterricht
fur Weberei-Beflissene.
( 紡 織 学 校 と 織 物 を 独 学 す る
学 生 の た め の ハ ン ド ブ ッ ク )
Text
Band
(テ キ ス ト
版 )
Ruh .
Drnk
Die
Bindungsle
hre
für
Gewebe( 織
物 の た め の
シ リ ー ズ )
ド イ ツ 語 1885
3 Textile Machinery ( 繊 維 機 械
製 織 編 )
Relating
to
Weaving
PartⅡ
Posselt,
E. A.
Posselt's
Textile
Library
Vol.VI
英 語 1901
97
Silk Dyeing, Printing, and
Finishing
( シ ル ク の 染 色 、 捺 染 、 仕 上 )
George
H,.Hurs
t,
F.C.S
Technologic
al
Handbooks
英 語 1892
51
JACQUARD WEAVING
AND DESIGNING
( ジ ャ カ ー ド 織 物 と 設 計 )
T.F.BEL
L
英 語 1895
リ ス ト の 一 部
- 5. たく、今回の発表の場をいただいた。
ここ ま で たど り 着 い たの は 、 ひと え に 、 玉川 寛 治 さん の ご 協 力・ 助 言 によ る も の。
繊維 産 業 への 専 門性 はな い 発 表者 達 だが 、な ん と か地 元 の産 業の 記 録 と記 憶 を留 め た
いと い う 強い 思 いを 持つ 。 な にか ご 教示 ・ご 協 力 を い た だけ る方 は 、 月刊 の こぎ り 屋
根サイト http://nokoyane.com/ へ、ご連絡をいただければ、望外の喜びである。
図 2 ( 右 )「 谷 中 の こ 屋 根 展 ~ 藍 染 川
フ ァ ク ト リ ー ラ イ フ 」 の 案 内 チ ラ シ
図 3 ( 下 )「 復 活 に 向 け て 谷 中 の こ 屋
根 展 in HAGISO」 の 案 内 チ ラ シ
謝辞
オ リ ジナ ル 部材 の保 存 に ご理 解 くだ さっ た 旭 プロ セ ス製 版、 澁 澤 倉庫 、 ギャ ラ リ
ーTEN、HAGISO、地元町会各位、文献資料を大切に保管されていた鈴木家の皆様、
解体 の 危 機の 中 で 参 集し た 谷 中の こ 屋 根 会の 仲 間 、の こ ぎ り 屋根 に 関 心を 寄 せ てく
ださった多くの方々、最後に改めて、玉川寛治さんに深謝いたします。
参考文献
谷 中 の こ 屋 根 会 「 谷 中 の 『 の こ ぎ り 屋 根 』」 の こ 屋 根 編 集 室 2014 年
小 川 功 「 企 業 破 綻 と 金 融 破 綻 - 負 の 連 鎖 と リ ス ク 増 幅 の メ カ ニ ズ ム - 」 九 州 大 学 出 版 会 2002 年
菅 建 彦 「 交 通 博 物 館 の 至 宝 - 岩 崎 ・ 渡 辺 コ レ ク シ ョ ン 」 日 本 写 真 学 会 誌 2004 年 67 巻 2 号 :108-112
森 ま ゆ み 「 明 治 東 京 畸 人 傅 」 中 公 文 庫 2013 年 、
地 域 雑 誌 「 谷 中 根 津 千 駄 木 」 谷 根 千 工 房 1984~ 2009 年
月 刊 の こ ぎ り 屋 根 http://nokoyane.com/